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唐突な人事異動は「合格」の鐘?

 文字通り東奔西走している時、唐突に人事異動を言い渡され、僕は文化局書籍著作権部に移った。これは、NHKのど自慢で、歌の途中で合格の早鐘が鳴るような異動命令だった。一年間の仕事ぶりが評価され、ユネスコ正規職員になれる可能性がもっとも高いポジションで待機することになったのだ。そこは、ブラジル人の正規職員が数年前から病気休職しており、そのポストに対してまもなく空席公募が行われる見込みだったのだ。まるで人の死を待つハゲタカのようだが、これが国連の現実だった。

 異動を言い渡されるよりひと月ほど前のこと、「20世紀の百冊」という新しいプロジェクトを企画する夢をみた。20世紀の激動の時代を生きた民衆がつづったドキュメンタリー文学を百冊選定して、それらをできるだけ多くの世界各国の言葉で読めるようにして、学校図書館に配布し、人類共有の教養知識とするという壮大なプロジェクトだった。朝起きた時、ハッキリと覚えていた。ユネスコには国際翻訳データベース「インデックス・トランスラショナム」があり、著作物が言葉の垣根を超えて人類全体で共有されることを目指していた。実現すればもっともユネスコらしいプロジェクトになっただろう。東京出張のとき、前川さんに虎ノ門で鰻重をごちそうになりながら夢でみた「20世紀の百冊」の説明をしたが、まさかその後すぐに書籍部に異動することになるとは思っていなかった。予知夢だったのか。しかし、このプロジェクトを立ち上げる前に僕はユネスコを離れることになった。

 

断腸の思いでユネスコを離れる

  ユネスコでの二年の任期があとひと月になった6月、日商岩井エアロスペースの岩井社長がパリに来た。岩井さんは僕が入社当時の宇宙航空機部長でたくさん迷惑をかけ、心配もさせたのに、ずっとかわいがってくださった。「フランスの衛星メーカーMatraとの業務を拡大するために、ロンドン駐在員事務所を増員した。ぜひとも手伝ってほしい。」と強く誘われた。もうすぐ国連正規職員になる夢が叶うという時に、青天の霹靂だった。嬉しかったけど、お断りするしかないと思った。

 だが、彼は容易に引き下がらず、僕を説得しつづけた。

 「僕らが一生通じてさがし求めるものは、たぶんこれなのだ、ただこれだけなのだ。つまり生命の実感を味わうための身を切るような悲しみ。」(セリーヌ『夜の果てへの旅』上巻P381,生田耕作訳、中公文庫)
 
 ユネスコを離れるときの僕の気持ちだった。Matraは、フランスの地球観測衛星SPOTを製造した会社だ。僕は商社マンだったとはいえ、駐在員をやったことがなかった。衛星製造の現場も知らないし、設計の手法も知らない。駐在員になって、SPOT衛星を作った技術者に会えるなら、自分を成長させるいいチャンスかもしれない。最終的に自分にそう言い聞かせて、文字通り「断腸の思い」でユネスコを去ることにした。僕の人生のなかで、もっとも辛く苦しい選択であった。

 帰国して東京に一時滞在したとき、社長にお願いして、ロンドン駐在の大先輩の海部八郎さんを紹介してもらい、同期入社の有志を集めて話を聞く会を開いた。お客様を喜ばせながらしっかり利益を上げる、相手を全面的に信じることで不可能を可能にする、どれもこれもスケールの大きな自慢話だった。造船、航空機、住宅、原子力、天然ガス、鉄鋼製品、、、、日商岩井のもっていた商権はほとんど海部さんが作り上げたものだったことがわかった。

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