三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 №6 第一章 尊良天皇顕彰の神風串呂(第3分冊)
復刻版 №6
徹底的に日本歴史の誤謬を糺す 其の壱
神皇正統第五十世尊良天皇顕彰
附 再現芳聖の串呂の一部
第一章 尊良天皇顕彰の神風串呂(第3分冊)
目 次
第1分冊
第一節 尊良親王が皇位を継承し給いし経緯
第2分冊
第二節「金崎神宮」が「尊良天皇」奉斎の神宮である事を立証する串呂
第三節「尊良天皇」奉斎の「金崎神宮」と「皇大神宮内宮」との神風串呂
第四節「金崎神宮」と「後醍醐天皇御陵」との神風串呂
第五節「金崎神宮」と岡山県新見市哲西町「天王」との神風串呂
第六節「金崎神宮」と「尊良天皇御陵」との神風串呂
第七節「金崎神宮」と「石清水八幡宮」との神風串呂
第3分冊
第八節「尊良天皇」とその再現「三浦芳聖」との関連の神風串呂
第九節「尊良天皇」が「高御位」に登極された事を立証する神風串呂
第十節「高甲良山」と「尊良天皇」再現「三浦芳聖」との神風串呂
第十一 節「尊良天皇」隠祀の「寺野ちゝ薬師」と之に関連する串呂
凡 例
🟢旧漢字は固有名詞等の一部を除き新漢字に変換し、旧仮名遣いは新仮名遣いに変換しました(國→国、ふ→う)。「寺野ちゝ薬師」以外の「ゝ、ゞ」は普通の文字で表記し、卅→三十、廿→二十、拾→十、皈→帰、壽→寿、竝→並などと表記しました。横書き用記述に合わせて「串呂地文連記」の東西・南北の方向を反転した場合もあります。本文中の引用箇所は、「 」『 』【 】で明確にしました。
🟢改行で一行空けるようにし、さらに適宜改行を補い、難読漢字にはルビを付し、句読点や括弧等を補い、見出しを付け、原著にはない串呂図や系図、写真・画像、WEB地図、記号(⛩)、絵文字(🟠)等を挿入し、資料先のサイトをリンクしました。頁数は復刻版独自の頁数で原著とは関連していません。
🟢明らかに誤字・脱字・誤記と判明している箇所は訂正し、個人情報保護の為に固有名詞などの関係個所を一部削除したり簡略化しました。
🟢金ヶ崎神宮→金崎神宮と表記し興国天皇践祚の日を延元二年二月五日と改めました。
🟢三浦芳聖師は、遠祖の人生を追体験する為に一人で何役(尊良天皇、興国天皇)も務めたようですが、誤解を避ける為「神武・応神・後嵯峨・後村上・松良五皇一体」で統一しました。また「五皇一体」と簡略表記した箇所もあります。
🟢串呂図の地名・住所は最新のものを表記し、本文中の住所も文意を損なわない限り最新住所を記載しました。府県名を省略した場合もあります。
🟢編集上の注記として挿入した箇所は〔編集者注記〕、消滅したり変更された地名は〔現在不明・廃村消滅か〕、地名を特定する為に「高松町〔田原市〕」のように記載し、和暦皇暦の後に西暦を挿入しました。例〔1370年〕。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
第一章 尊良天皇顕彰の神風串呂(第3分冊)
第八節「尊良天皇」とその再現「三浦芳聖」との関連の神風串呂
基良親王が住職していた伝正院の地図
1、尊良親王の再現として降誕した三浦芳聖
吾が三浦皇統家は、此の「尊良天皇」の神皇正統嫡皇孫で巻頭に掲げた系譜の通りでありますが、私の聖母の里「河合家」は、此の「尊良天皇」(河合家にては太子尊良親王と伝承)第二皇子「基良親王」(太政大臣〔二条良基〕の養子となり藤原基良、後河合姓となり、僧となって良玄と称す)の直系子孫で、
河合和助の嫡女として生まれた聖母茂登子(元子)は廃嫡して吾が三浦皇統家に嫁ぐに当り、河合和助翁より、
と念願されて、明治三十二年〔1899年〕嫁いでこられ、満五ヶ年半只管に祈念されて、私は一日の狂いも無く、皇紀二五六四年甲辰年〔1904年〕陰暦八月八日(新九月十七日)午前六時、愛知県岡崎市牧平町大門にて降誕致しました。
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神皇正統家極秘伝「神風串呂」の集大成である三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』のデジタル復刻版。難読漢字に読み仮名を付けました。日本…
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