正しい価値観とは―既得権益の観点から
カッコつけたタイトルをつけてしまいましたが、今回はこのテーマで少し書きます。たぶん続編も書きます。
身近なところによくわからないけどある価値観が浸透しているとか、そういう疑問を持ったことはあるでしょうか。男性が女性にご飯代を多く出す。そういうのも一つの例になるでしょう。
今の例で言えば、特に男性が支払う合理的根拠はないように思われます。少なくとも男女平等という倫理的観念の上では。昔は家父長制であり、男女平等でもなく、男が女を養う構図にあった。そのため男が女にいろいろと奢っていたわけです。しかし、女権運動により男女平等が主張された結果、女性にも建前上の権利はほとんどすべて認められてきた。
つまり一つのカップルを見ても男が女を養う場合もあれば女が男を養う場合もあってよいということになる。これは団体内の複数の男対複数の女の関係の中でも同じはず。しかし、現代の女性の中にも少なからず、あの男は奢ってくれなかったとか言っている人は結構いますよね。
すなわち、男女平等になっても―もちろん現状そうなってはいないという指摘はあるも―、自分の―女性の―得になる部分は享受するが、損になる部分は受け入れないという人は多いといえる。既得権益は手放したくないのである。
もちろん意図的にそうしているというより、何も考えずに習慣に固執しているだけの場合が多いだろう。ただし、意図的にそうしたことができる人間が今の時代、有利になっているということも指摘できる。すなわち、合理的ではないが自分には有利な価値観が存在するとき、それをただすことなく現状維持を試みるのである。それに反する―それをただす―ような人間が現れれば即刻価値観の変更を迫るか、共同体から排除してしまう。
こうしたことはポスト真実の時代らしい特徴ともいえる。正しいことよりもみんなが好むものを選ぶ。たとえそれが論理的に糾弾されようが。声が大きいものが勝つのである。
今回はこれくらいにして、続編として習慣への固執とその危険について書いてみたい。
教育や社会全般について批判的に検討していきます。もしサポートいただけましたらより高い頻度でノート更新していきたいと思います!