働くことへの心構えの変化

最近、”働くこと”への抵抗がなくなってきた気がする。

それは、”働くこと”=何か自分以外のものに縛られること、自由を奪われること(そして、その対価としての稼ぎ=お金)という働くということに対する考え方が変わったのか、はたまた、自分の興味関心がある自分がしたいこと以外をしたくないぞ!という心構えが変わったのか。

多分、どちらも。
前者に関してはまた他のところで書くとして、ここでは後者について。


そもそも、以前ほど、自分の興味関心が100%の動機となって働くことが最近はなくなってきたなという感じがある。

120%のワクワクしかなかったヨットづくりも、半年過ぎた頃にはなんとなく「停滞しているような感じ」が生まれて(5月の定例会で「なんとなく最近停滞してるという感じ。でも、今までが常に刺激を求めていたのであって、何かを変える時期を迎えているのかも。」と話していた)、そして、強い停滞感を過ぎた今、良くも悪くも淡々と日々やっている。

やるべきことを淡々とこなしていく作業は、以前の私にとっては、その仕事を軽んずるディスリスペクトな行為であったし、やりたいことよりもやるべきことを先んじることは自分の理念に反する行為であった。つまり、自分の「やりたい!!」が動機となって働くということは、自分の理念に叶った、その仕事をリスペクトして働くということであった。

でも、私の「やりたい!!」は、そのほとんどが未知への探究心・興味関心から来ていて、だから、分かることや出来ることが増えると、達成感や喜びを感じつつも最高潮だった「やりたい!!」の気持ちは薄まり、淡々と仕事をこなすようになるとこのままでいいのだろうか?と思い始めた。

それでも、ヨットを作ること、というか、形のあるものを自分の手で作ること--特に美しく作るのに一点集中する時間--は無心で続けられて、それで、自分に合ってるんだなということ、そして自分に合っているという選択の基準があるんだということに気づいた。(ということで、私はものづくりの道へと自分の人生の舵を切ることにしました、というのはまた今度)

「ワクワク!知りたい!やりたい!」っていう強い高まる気持ちがなくてもその仕事を続けられる&好きでいられるようになって、自分の興味関心がある自分がしたいこと以外をしたくないぞ!という心構えというか、<働く動機には100%の心>だったのが変わって、20%の興味でもやってみようかなと思える様になって働くことへの抵抗が少なくなったのかなと思う。

この、<選択には自分の心が100%>という心構えの変化は、他者ひいては自分の想像していなかった未来を自分の選択・人生の中に加えることに繋がっているように思う。働くことへの心構えの変化は、働くことへの抵抗をなくしたという以上に、すごく大事な意味があるんだろうな。


--ひとこと--
<選択には自分の心が100%>となれるようになるまでにはなれる前までの奮闘があったから、なんというか生きるというのは進み続けるものなのですね、ほんとうに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?