【小話】泥酔

「また飲んでんの」というと、そのひとはへらっと笑って頷いた。終演後のライブハウスはしんと静まり返っている。先ほどまでの熱気が嘘のようだった。テーブルに広がった色とりどりの缶。

「きみも飲む?あたしがおごったげるよ」という彼女に「いらないよ」と返すと、笑いながら寂しそうに眉を下げるので「このあと、どうせ一緒に飲むでしょ」と付け足した。

そのひとと初めて会ったのはここと同じようなライブハウスで、最前で笑う彼女を僕はただステージの上から見ていた。やたら熱心に見てくるなと思っていたら、終わってから「いやぁ、よかったです」と。客席側はステージより暗いのでそこまで容姿をしっかりとは見ていなかったけれど、改めて、きれいなひとだと思った。涼しい目元に白い肌、長い黒髪。すらりと背の高い細い体躯にスーツがよく似合っている。OLかな。お酒を片手にへらへらと笑いながら声をかけてきたので、最初は冷やかしかと思ったのだけれど、その後、ライブの流れから曲の感想をすらすらと口にしたので、ああ、結構ちゃんと聞いてくれていたんだな、と思った。

「あたし、あの曲好きなんですよ。最後のやつ」
「ああ、夜の?」
「そう、なんかすごく情熱的で……」

そういったとき、彼女の笑顔が一瞬曇った。

「救われるっていうか……うん、そんな感じ」

視線はそっと逸れて、伏せた瞼の先で睫毛が揺れる。目が離せなくなった。

「いやぁ、ほんとにすき!よかったよぉ」

ふと、我に返ったのか先ほどの調子を取り戻してまたへらへらと笑いだす彼女に、それまでの笑顔はやっぱり張り付けていたものなのだろうなと思った。触れようか、とも思ったが、そういう距離感でもない。黙って話を続けた。
以来、彼女は僕のライブに通い続けている。

「ファン第1号の~あいちゃんだよ~!なんつってー」

と毎回来るたびに言うので名前も覚えてしまった。あいちゃんは僕よりだいぶ年上の女性だということも知った。なので、今は「あいさん」と呼ぶことにしている。

相変わらず、今日もあいさんは酒を片手にへらへら笑っている。時折、真面目な顔になるところも変わっていない。真面目な顔になったときのあいさんのほうが、どこか危うい魅力があって、僕は気になっていたのだけれど、彼女はそのトーンで話すのは憚られるようだった。

あの顔を見ると、どうにも、そのまま甘やかしたくなるのは、僕の良くない性分だった。無理に笑うよりも楽になってほしいなと思う反面、そういうのはお節介だろうし、望んでいないかもしれないとも思った。

いろんなことを背負いながら、この場所で息抜きをしているのだろうというのは、何回か話しているうち、彼女の口からほろほろと零れる私生活の話と、擦り切れた靴やため息、吸う煙草の本数から思った。最初の勘はある程度当たっている気がして、それを確かめたいだけなのかもしれなかった。よくない好奇心が鎌首を擡げるのを、制御するために、僕も彼女に合わせて笑うことにした。

僕にできることは、歌を作って歌うことと、彼女と話すことだけ。今もこれからも、たぶんこれだけでいい。

その代わり、歌の中では、揺れる瞳を捕まえて、その奥を暴いた気になった空想を描いて、そのなかのひとひらで、彼女が本当に笑うきっかけが作れたら、彼女の肝臓も少しくらいは長持ちしてくれるんじゃないかと考えている。

「また聴いてんの」
「きみもきく?」
「さっきやったばっかじゃん、それ」
「だって好きなんだもん」
「……僕も」



泥酔:正体をなくすほど、ひどく酔うこと、の意

バンドマンとファンのひそかな交流、みたいなものがテーマでした。あまりに欲に正直に書きすぎたなと思いつつ供養。

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