名古屋宝生会『桃華能』
今年も、春の祭典、『桃華能』へ行って参りしました。
かつて能の興行は1日がかり。神、男、女、狂(雑)、鬼の五番と、合間に狂言を挟みつつ朝から晩まで楽しんでいたのですね。現代ではとても全部は無理ですが、それに見立てて番組編成がされています。とても風流ですね。
番組は、以下の通り。
神:能『右近』
男:仕舞『箙』
女:仕舞『小塩』
狂:仕舞『網之段』
鬼:仕舞『野守』
狂言:『鶯』
最後に
雑能:『藤栄』
でした。舞尽くしで幸せでした。
『藤栄』
今回は、『藤栄』がとても面白かったです。初めてみました。
能の入門書には入っていない、ちょっとマイナーな曲で、標準になる詞章本がなく、粗筋だけを頭に入れて行きました。
この曲は、現在ものと言われる能で、シテが何かの精霊であったり、死者であったりする夢幻能とは少し異なります。舞台で展開されるのは現在のお話で、現実の人です。ですので、面はかけず、素顔で演じます。顔を面代わりにするので、直面(ひためん)とも言われます。能楽師さんのお顔をじっくり眺めるチャンスです(笑)。
現在もので有名なのは、『安宅』ですね。歌舞伎の『勧進帳』のもととなったお能です。大人数が舞台に出てきて、ストーリーもわかりやすくて大好きです。『藤栄』もどうやら大所帯のお話のようです。
時頼は、藤栄が船遊びをしているところに乗り込んでいって、尊大に振る舞います。笠で顔を隠し、藤栄に「舞を舞って見せよ」との申し出をします。しかし、思ったよりもいい人(笑)の藤栄は「素晴らしい舞を舞って、びっくりさせてやる」とばかりに羯鼓(体につける小さな太鼓)を持って舞い始めます。
実際には太鼓は叩かないのですが、囃子方の小鼓の音に合わせて、撥を動かすのであたかもそこから音が出ているようにみえます。シンクロ度がすごいので、目が離せない舞でした。
この舞の前にも、男舞と曲舞を舞っているので、後半はほとんどずっと舞を舞っている曲です。アップテンポな舞ばかりで、大好き。
なんだか親近感のある話…この時代にすでに「時代劇」のパターンは作られていたんですねえ…
シテの能楽師さんの息子さんが子役で月若役を演じていらっしゃったので、二人が並んで退場するところに、ちょっとグッときました。小学生3、4年生の子が、1時間近くの曲の間、ずっと正座しているんですよ…ほんとにすごいなあ、と思います。隣の席ででうちの娘は寝ていたんですけどね…能のファンのおばさまたち、子役さんが出ると、必ず「よかったわね〜」って声が大きくなるの、すごくわかります(笑)ちょっとずつ大きくなるのを見ていると、もう親戚のオバサン気分になるんでしょうね…
北条時頼
さて、この北条時頼という人は、次男でしたがとても優秀でした。お兄さんが病気で執権の座をこれ以上続けられないと悟った時、自身の息子ではなく、時頼に譲ったのでした。
しかし、時頼自身も病気がちだったようです。麻疹、赤痢と罹患し(同時期に麻疹に罹った娘は亡くなっています)、それが原因かどうかはわかりませんが、30歳で出家しました。最明寺で出家したので、最明寺入道と呼ばれます。とはいえ、引退後も実権は握っていたので、院政のような感じです。
時頼が諸領を歩いたのは事実のようで、それを元に「最明寺伝説」が生まれました。いわく、身分を隠して諸国漫遊し、地方の実情を観察するとともに、困窮しているものを救った…なんだかどこかで聞いた話のような…そうですね、鎌倉時代バージョン『水戸黄門』です。いや、水戸黄門の方が後の時代の人だから、こっちがオリジナルか…
この伝説を元に作られたお話はもう一つあって、『鉢木』というお能です。こちらは徳川家康がお気に入りだったと言われ、有名です。
やはり諸国漫遊をしている時頼を、その素性を知らずに自分の荒屋に泊めた常世。貧しい家でしたが、旅の僧に暖を取らせるため、大事にしていた鉢の木を焚いてもてなします。そして、落魄はしても、一度「いざ鎌倉」となれば一番に駆けつけます、と語るのでした。その言葉を覚えていた時頼は、実際に号令をかけ、やってきた常世に所領を与え、めでたしめでたしとなります。
実は、鎌倉時代のことは全然詳しくないので、もう少し勉強しようと思います。差し当たっては、今読んでいる『吾妻鏡』を読了してしまいたいです。
宝生流の仕舞を習っているので、動きがとてもわかりやすかったです。謡が聞き取れなくても、あ、これは空を見上げているポーズだな、とか、今景色を見ているのにね、とか。これから、謡を習うようになったら聞き取れるようになるのかな…
4月から名古屋能楽堂は改修工事に入ってしまうので、しばらくは能はお預けです。残念ですが、秋まで大人しく待ちます。