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能楽キャラバン 名古屋公演

 行ってきました!
 今回は能は金春流の「嵐山」と「船弁慶」、狂言は「伯母ヶ酒」。
 春(年始から3月にかけて)と、秋(9月から11月にかけて)は能の上演が集中します。1月だけでも、すでに能楽堂に足を運ぶのは3回目(笑)。でも、名古屋での能の上演は、東京や大阪に比べて回数が少ないので、できるだけ行きたいのです。

 金春さんには、贔屓にしている若手の能楽師さんがいるので楽しみでした。主に奈良で活躍されている金春飛翔(ひかる)さんと、金春嘉織(かおる)さんご兄弟。2年前にお二人の「二人静」を観たときから応援してます。今日は「嵐山」の後ツレの二明神に扮していました。お父様と共演されているのを観ることが多いので、いつも微笑ましく思っています。 
 私がお稽古をさせていただいている宝生さんでも、もう少しするとお母様と娘さんの共演が見られるのではと思っています。
 世襲でなくとも、若い能楽師さんが育っているのを見るのっていいですよね。
 
 尾張藩は御三家の一つで、初代徳川義直の時代から能楽が好まれていたようです(徳川家康は能好きで、自分でも演じた)。中でも、金春流と宝生流は同格の扱いで重用されていたといいます。家康は観世さんにお稽古をつけてもらったそうですが、殿さまとはいえ、流派の好き嫌いがあったんでしょうね。

 さて、「嵐山」は初見でした。とても華やかな脇能で、春らしくてよかったです。衣装も面も美しく、初々しい。
 吉野山の桜を嵐山に植樹したのを、帝の命により都の勅使たちが見に行ったところ、木守、勝手明神が現れて舞を舞います。神遊び、という語が素敵です。明神の舞はどちらかというと可愛らしいと感じました。この神は西洋で言えば、精霊に近いのかもしれません。
 「いざいざ花を守ろうよ。いざいざ花を守ろうよ。春の風は空に満ちて。春の風は空に満ちて。庭前の木を切るとも、神風にて吹き返さば、妄想の雲も晴れぬべし。千本の山桜のどけき嵐の山風は。吹くとも枝は鳴らさじ」
 さらには、吉野山の蔵王権現が来迎して荘厳な舞を見せた後、三神が並び舞います。
 以前桜の時期に嵐山に行ったことがありますが、桜色に染まった山を見ていると、そこに神を感じる気持ちがわかる気がします。当時から素晴らしい光景だったんでしょうね。
 アイ(末社の神)のちょっとおどけたような舞も面白かったです。

 こういう多数の登場人物による、華やか、あるいは、賑やかな能は、「風流能」というジャンルだそうです。
 その意味で、「船弁慶」も風流能。

 能には、いろいろな話がありますが、私は、平家もの、義経ものが特に好きです。義経もので一番好きなのは、舞台が賑やかで、オチも楽しい「安宅」。義経ものにカウントされているのかはわかりませんが、「鞍馬天狗」もお気に入りの曲です。
 義経もののほとんどは、義経は主人公ではありません(「八島」のみ義経がシテ)。そして、義経は子役が演じます。子役の演じる義経の初々しい感じが、その後の運命の悲劇性を盛り上げているような気がします。

 さて、「船弁慶」。観るのは2回目でした。
 兄の頼朝に追われ、西国に逃れようとする義経は、摂津の国大物の浦から船に乗ることになります。そこまで同行していた静には、弁慶を通じて都に戻るようにと伝えに行かせます。静は直接義経に会いにきて、その真意を確かめると、見事な別れの舞を見せるのでした。その舞を見た義経は、やはりもう1日出発をするのを遅らせると言い出しますが、義経の尻を叩くようにして、弁慶は強引に船を出させます。海の上を進むうち、俄に海が荒れ、その波間から平家一門の亡霊が現れます。平家総大将、平知盛の霊が薙刀で迫ってくるのを、やっと静との別れが吹っ切れた(笑)義経は、動揺せずに立ち向かうのでした。静が哀しみをこらえて、その門出を祈る舞を舞ったお陰かもしれませんね。そうして、弁慶の祈祷でようやく霊は消えて行くのでした…弁慶、いろいろ大変です…(史実とは違うのでしょうが、能の世界では義経の保護者としてかなり苦労しているように思います)
 義経と弁慶のような主従関係は、江戸期の武士のように家に縛られているのではない、強固な個人的な感情によるもののような気がします。『平家物語』で見られる主従関係は、乳母子(乳兄弟)ということが多く、主従とはいえ一緒に育ってきた幼ななじみ、という感じなのでしょうか。家がどうこう、ではなくどこまでも、あなた個人について行きます、ですね。弁慶が義経に出会ったのは、義経の元服前ですから、二人は人生の大半を一緒に過したわけで(能「橋弁慶」を観たことがないので、いつか観てみたいです)、その主従関係は乳兄弟同様に、強固なものであったでしょう。「船弁慶」の中で静は、弁慶の物言いにカチンときたのか、「本当に私を置いていくと仰っているのか自分で聞きにいきます!」と言い張ります。余裕を見せながら、「そんなに言うなら、どうぞ?」と言う弁慶に、静はさらにイラっとさせられたのではないでしょうか。
 こんな主従関係を見せてくれるのが、義経ものの魅力です。