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トライアングルシンドローム

何度も、繰り返し夢を見る。
私はウエディングカメラマンとして、新郎新婦が手を繋いで歩いてくる姿を後ろから撮影している。白いベールが目に眩しい。高いヒールを履きこなす美人だということが後ろ姿からでも窺える。
震えないように、手ブレしないように。脇を締めてその事実を受け止めようと、身体が動く。
二人が振り返る。
聖良(せいら)と真人(まひと)。

二人は私の幼馴染だ。


はっと目が覚める。
この頃、何度もこの夢を見る。大学に入っても、二人とは一年に一度くらい集まっている。

別に二人は付き合っていない。私が勝手に脳内で結婚式を挙げている夢を見ているだけだ。

私がまだきちんとした恋を知らない頃、一番近くにいた男の子が真人だった。真人は潤滑油のように人の間に入り、場を和ませるのが上手かった。
それに対して聖良は、女の子にしてはちょっとだけ勇ましくて、頭が良かった。私は、これと言った特技もなく、ひたすらマイペースに絵を描いていた。

聖良は頭がいいだけでなく、音楽や踊りの才能もあった。ステージでキラキラとした衣装を身につけ、スポットライトを浴びて踊る聖良を、真人と二人で見に行ったこともある。

聖良と私は小学四年から塾に通い、一緒に受験して、綺麗に私だけ落ちた。卒業式の指揮者も、聖良がオーディションで射止めた。一応、私も受けたオーディションだったけど、誰も投票してくれなかったことが恥ずかしかった。

聖良の家は裕福で、モデルルームみたいに綺麗で、羨ましかった。

欲しいもの全部、聖良が持っていくなあ、と子供ながらに思った。これ以上欲しいものなんてないはずなのに、いいなと思っていた。

真人は、優しかった。
頭がいいというよりは聡いひとだった。
傷ついた小鳥を両手で包むような優しさと、臆病さを持ち合わせていた。
真人は声変わりが早くて、その頃から落ち着く声をしていた。木漏れ日みたいな声。

私は、考えないようにしていたけど、ずっと彼のことが好きで、たぶん、今も好きだ。

小学六年生の時に、修学旅行で誰にも見つからずに神様に祈ると願いが叶う、なんて噂が流行った。私は色恋沙汰にはまだ疎くて、だけど咄嗟に一人きりになったとき、祈った。真人と付き合えますように。
そんな小さな祈りを、未だに私は覚えている。

繰り返し夢を見るのは、それを一番恐れているから。現実のショックを軽減するために見ているのだ、なんて、誰が言ったんだっけ。

私は幾つかの恋愛を経ても、まだ初恋を忘れられずにいるのだ。ほんとうに、滑稽な話だ。

携帯が鳴った。
LINEを開くと、聖良からだった。

『久しぶり。15日に真人とドライブ行くけど、緋凪も行く?』

真人、免許取ったんだって、と、写真が送られてくる。真人が車の免許を持って照れくさそうに俯いている写真だった。

ずくり、と嫌な予感がした。
なんで日付まで決まってるんだろう。二人が行くことはもう決定事項で、私の予定は気にしなかったのだろうか。そもそもこんな写真私は知らない。真人が免許を取ったことだって知らなかった。なんでだ。いつだって、

三人だったじゃないか。

そこまで思って、もしかしてもう三人じゃないのかもしれない、と思った。もう既に二人と一人だったとしたら。
嫌だった。そんなことを思ってしまう自分が嫌いだった。
気にしすぎだよな、と思いつつ、でも二人の方が良いならいない方がいいな、とも思う。

逡巡しながら、
『真人免許取ったんだね!おめでとう。
先に日付決めてたなら二人で行っておいで〜』
と、打った。送信。

『でもなんで日付決まってるの?』
この部分だけ、未送信。私の思い違いだと思いたかった。


聖良に対して、私はずっと劣等感があった。
何をしても聖良以下。ピアノも、ダンスも、指揮も、学校も。

一流大学に現役で入った聖良は言う。
こんなの、虚無だよ。何にもない。

才能もなくて、バイトも上手くできなくて、苦しい日々を過ごしてた私からしたら、そんなの、ひどい。笑えるくらいひどい。死にものぐるいで仕事を探して、ようやくバイトをしてる私からしたらすごい皮肉だ。

でも、幼馴染だから。嫌いになりきれなかった。否、嫌いだと言うのを、私のいい子の部分が許してくれなかった。

私たち三人は、一度も喧嘩したことがなかった。
みんないい子だった。

だから、こんな一言がつい出てしまった。

『私、二人で行きたいなら行ってきてもらっていいよ』
打って、送信した。心臓が強く鼓動しているのを感じていた。

本当はそんなこと思ってない。二人でなんてどこにも行ってほしくない。だって本当は、私は。

息をうまく吸えなくなる。空気を求めて喘ぎながら、これは、テロだ、と思った。
下手すれば二人ともう会えなくなる。二人と一人に、なってしまう。

グループLINEは、まだ既読一件。
たぶん真人だろう。真人は既読は早いのに、いつも返信が遅い。

と、個人チャットの方に一件LINEが入った。真人からだった。向こうから連絡があるなんて珍しい。

『なんかあった?』

なんかも何も。テロに対して悠長すぎるよな、と思う。だから言う。

『今日電話できない?』
『できるけど、何?』
『ドライブの話したい』

真人とこうしてテンポ良く会話が続くのは珍しい。
前回みんなで会ったとき、聖良に対してはそうでもないらしいことがわかって、ちょっとだけ落ち込んだ。
真人は、可愛いとか、綺麗だとか、あんまり言葉に出さない。遅刻もよくするし、寝癖もついてるし、だけど、昔からよくモテた。

真人のこと狙ってないよね、と、狙ってるであろう女の子に探りを入れられることもしばしばだった。別に狙ってないよ、といつも答えた。

あの頃の私はほんとうに素直じゃなかった。私を苦しめるいい子の部分が素直じゃなくさせていた。

迷うような時間が数秒続いたあと、アラームが鳴った。真人からの電話だった。

『…もしもし、村野真人ですが』
『もしもし、私、緋凪。ドライブのことなんだけど』
『ああ。日付、合わなかった?』

そうだけど、そうじゃなくて。
答えられなかった。

『二人で行っても構わない、って言ったことに関して』
『…うん』

『私、本当は行ってほしくない』

…言えた。いい子の部分を押し殺しながら、なんとか言えた。

『…別にいいけど、なんで』

なんで、と問われて、そこを答えてしまったら私は耐えられないと思った。いい子の部分が、ほらね、と目配せしてくる。

私たちは一度も喧嘩をしたことがなかった。それは本当に健全だったのだろうか。もう私が恋心を抱いた時点でゆるゆると崩壊を始めていたのではないだろうか。

そう思ったら、たまらなくなった。そして、言ってしまった。

『私は、』
何かが私の中で、崩れ始めていた。

『真人のことが好きだから二人だけで行ってほしくない』

一息で言い切った。
真人のいつもの、少し気だるそうな雰囲気が張り詰めたのがわかった。

沈黙が二人の呼吸音だけを届かせる。

真人が口を開いた。
『…ごめん』

ああ、と思う。やっぱり、とも思った。
初恋は叶わない。それはジンクスでもなんでもなく事実だったらしい。

「いいよ、わかってた」
カラカラになる喉で、なんとか伝えられた。
そのあと、真人は大きくため息をついた。

『なんで二人で行けば、なんて送ったの』
『だって、』
邪魔になるかと思って、とは言えなかった。
これ以上のことを知ったら、もう立ち直れなくなると思った。

『真人は聖良と二人で行きたいのかなって』
結局、言い方を変えただけで同じことを言ってしまった。
ああ、と真人はまた大きくため息をついたあと、別にそんなことないよ、と言った。
真人にまた気を使わせてしまっている。

今私、すごくめんどくさい女になってるな。
他人事のようにそう思う。でも、言葉が口を突いて出てしまった。渇いた口で、少し笑いながら。

『ねえ、私が言ったんだから教えてよ。真人が好きな人は誰?』

小さな頃から、真人のことを好きな人はよく聞く割に、真人が好きな人の噂は一向に流れてこなかった。真人の噂に関しては、聖良と手を繋いでた、ってことだけ。しかも小学校四年生のときだ。お遊戯の範囲内だと思ってた。
いや、思わざるを得なかった。

たぶん、私はもう答えをわかっててこの質問をしていた。自分がダメージを受けるのをわかってて、苦しくなるのをわかってて、でもはっきりさせないともっと苦しくて、それで電話した。覚悟はしていた。はずだった。

散々言うか迷った沈黙があって、また一つ、溜息をついて、真人は言った。

『俺は、聖良が好きだ』

そっか、そうだよね。わかってた。知ってたよ。
だって、私には絶対言わないこと、聖良には言ってたよね。可愛いとか、そういうことを。

聞かないようにしていた言葉が、私の好きな声が、電話から聞こえてくる。
ずっと前から好きで、とか、そういうのはさ、直接本人にいいなよ。失恋したばっかの人に言うものじゃないよ。

私は泣いていた。最悪だ。なんてみっともない。
『聖良は私の欲しいもの、全部持っていっちゃうね』
声が震える。綺麗でも可愛くもない私は、泣いても、聖良みたいに美しくライトに照らされたりしない。

歪んでいた三角形は、二十歳を過ぎて完全に崩壊を迎えようとしていた。

子供の頃、トライアングルは鈍く銀色に光っていて好きだった。キラキラしていて、お星様みたいな音がする。綺麗だった。でも、綺麗に鳴らすには切れ目がないといけないと知った。

きっと、その切れ目が私の言葉だった。

ごめん、と謝り続ける真人に、私は何も言えなかった。
電話を切ったあと、ただ私も、一言だけ、『ごめんね』と、三人のグループに送って、退会した。

男女の友情も、綺麗なトライアングルも、いつか誰かの抱いた小さな祈りによって崩壊する。

三人だったものは、二人と一人になって、いつか存在自体もなくなってしまうかもしれない。でも、最後だけでもいい子をやめられてよかった。

私たちは、きっといつだって正しいほどに大人で、子どもすぎた。

それだけだ。
まだ前は向けないけど、この恋にはピリオドを打たなければいけない。だから。

こうしてひたすらに文を書いている。トライアングルの最後に、ピリオドを打つために。

2022/03/17

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