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最愛の弟へ

学校の課題で、最愛、と言うタイトルをつけて銅版画を刷った。
うちにいる猫の、いや、いた猫の、銅版画だ。

先生にはデッサンが狂っていると散々な講評をされたけど、うちの猫はそういう顔をするんだ。本当に。先生はそれを知らない。

最も愛おしい、なんて題をつけたのは、後にも先にもこれきりだ。

うちの猫の名前はマリンという。
お迎えしたのは15年前。私が小学二年生の頃。
目が碧く、マリンブルーだったことからマリンと名付けたけど、これはキトンブルーと言って幼い猫特有の目の色だったらしい。気づけば若草色の瞳に変わっていた。

お父さんはマリンの手下で、私はマリンのお姉ちゃん。お母さんは、マリンのママ。そんな感じで日々を過ごした。

マリンは本当に可愛くて、小さな頃からわんぱくな男の子だった。小さい体で走り回り、テレビの裏や家具の隙間、どこにでも行ってしまう。

くまのぬいぐるみが好きで、よく遊んでいた。くたびれ、色褪せたくまちゃん。なぜかトドメを刺そうとしたのか、自分のエサの横にある水のボウルにくまちゃんを突っ込んでいることもあった。

そうそう、水が好きな変わった猫だった。
バルコニーに出て、バケツにいっぱい水を汲んでやると、両手で船を漕ぐように、びしゃびしゃになるまで遊んだ。よくフローリングに足跡がついていて、それが可愛かった。

お風呂場ではチョロチョロと蛇口から出した水しか飲まなくて苦労した。手桶に汲むと、何度も持ち手のところに手をついて、がったん、がったんと音を立てて人をよぶ。その度にチョロチョロ水を出す。でも可愛いから、呆れられながらもみんな出してあげていた。

これらを、もう過去形で書かなければならないことに、手が震えている。

もう二度と会えないことを受け入れられない。

マリンは、本当にいい子だったから、私が学校が休みで、母が仕事を休める日で、父が在宅で過ごせる日、それが重なる日を狙ったかのように死んだ。

体調がおかしいと気づき、心筋症であると診断されてから、一ヶ月。余命があと少し、と言われてから五日。それだけしか、私たちに甲斐甲斐しく世話をさせることはなかった。

酸素テントの中で、苦しそうに鳴くマリンの顔が頭から離れなくて、写真を見たりして、もう苦しまなくていいことに安堵して、それでもいてほしかったって、

めちゃくちゃだ。

でも、このめちゃくちゃを記録しておかないと後悔すると思った。

マリンは可愛くて、可愛くて、世界でいちばん、可愛くてしょうがなかった。私が泣いていると、必ずそばに来て、心配そうに鳴いた。ずっとそばにいた。

マリンは、家族みんながいるところで、
2023年3月22日11時15分に亡くなった。

春の陽気の感じられる、暖かな日で、空はふうわりと晴れていた。桜が満開で、はらはらと花びらが舞っていた。

マリンが死んで、部屋を片付けたあと、マリンが一番よくいたソファの席に腰掛けてみた。窓から春の初めの心地いい風が舞い込んできて、キッチンにマリンがだいすきなママの姿がよく見える。
特等席だったのか、と今になって知った。

窓を見ればマリンが鼻づらをぴとぴとつけた跡や、壁紙を引っ掻いた形跡や、こぼれたトイレ砂、そこらじゅうに生きていた形跡があって、まだ信じられない。

きっとこれからも何度も、網戸を広く開け放さないように気をつけるだろう。マリンのための水をお風呂場に用意しておいたり、朝、カリカリの餌を八分目までで測ったり、そういう私の身体に沁み込んだマリンの形跡で泣くだろう。

君はしあわせでしたか。
私たち家族を守ってくれてありがとう。
いつもそばにいてくれてありがとう。
自分を傷つけようと刃物を握った手を止めてくれたのはマリン、君の頑張る姿でした。
最期まで可愛い可愛い最愛の私の弟。
だいすきだよ。

2023/03/22

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