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「自己矛盾劇場」から得た気づき

おはようございます🤗
久々に朝ブログを書けそうです。
このところ、何かを言い訳にして朝ブログを書かない日々が続いていましたが、やっぱりブログは朝書くものだ!と感じたので「継続すること」から「朝に書く」に目標を変更したいと思います💪
自己矛盾劇場に書いてある「言っていることとやっていることの相違」を読んでグサグサとナイフで胸を刺され目が覚めました👀
自分に嘘をつくことこそが、一番モチベーションを下げているのだと改めて痛感させてもらいました。
なので今日からブログを朝に書く(朝書けないなら朝書けない理由を朝にブログで書く)を目標にして頑張ってみたいと思います🙂

今日の内容は昨日の「自己矛盾劇場」を読んだ感想の続きを書きたいと思います。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです🙂

それではさっそくいってみましょう!!

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●自己矛盾劇場

昨日のブログにも書きましたが、細谷功さんの著書「自己矛盾劇場」にどハマりしております。
10/31から読み始め、既に2巡目を読んでいます。
同じ本を続けて短期間のうちに2巡することはあるものの、1巡読んで時間をあけずに即1ページ目に戻って読むことは本当に稀なことです。

そのくらいハマっているのと、きちんと落とし込みたいという思いが強いのと同時に、1巡目を通しただけでは理解できなかったのが理由です。

昨日は2章までに書いてあった内容について深掘りました。
今日は第3章以降の内容について深ぼっていきたいと思います。

その前に自己矛盾についておさらいします!


自己矛盾とは?

「自己」というものの中で「矛盾」が生じている状態のこと。

自己矛盾の3つの特徴

①自ら気づくことはきわめて難しい(が、他人については気づきやすい)
②気づいてしまうと、他人の気づいていない状態が滑稽でたまらない
③他人から指摘されると「強烈な自己弁護」が始まる

でした。
3つの特徴から導き出されるものは

「人の振り見て我が振り直せ」

でした。
人間は自分のことは気づきにくいが、他人のことはすぐ気づく。
それを逆手にとった「人の振り見て我が振り直せ」を意識することにより自己矛盾に気づけるようになり、生活が豊かになると私は感じています。

同様に歪み(認知バイアスの歪み)に気づけているか?ということについて書かれています。

自己矛盾の行動や発言は、多くの人にストレスをもたらし、社会を息苦しいものにします。
そうした自己矛盾が生まれるメカニズムには人間がさまざまな形で持っている認知バイアスと呼ばれる心理的な歪みが関係しています。

と第3章の冒頭に書かれています。
細谷さんはその心理的歪みのことを非対称性と表現しています。
細谷さんがおっしゃる非対称性とは目に見える「左右対称」や「上下対称」といったものでなく、もっと広義的に捉え、一見同等に見えるが実は同等でないものについて「非対称」と表現されています。
わかりやすい例をあげてくださっているので、そちらを参考にしなが歪みについて深堀たいと思います。


●「自分」と「他人」

当然なのに、ほとんどの人が本当の意味で自覚していないのが「自分」と「他人」の非対称性です。
ようは「自分が他人を見るときの目」と「自分が自分自身を見るときの目」は自分が自覚しているよりも何千倍もの差があると書いています。

自分のことを自分で見ているとき、ひいき目に自分のことを見ているため、実は自分から見ている「自分」には実は強烈な「バイアス」がかかっていることに気づいていないということです。
そのため「他人から見ている自分」との間に大きな差が生じていること自体、なかなか気づくことができない。

自己矛盾の側面の1つに、他人を批判しているつもりが実はそれは鏡に映った自分自身のことであり、そのことに全く気づかずに他人事として第3者的に語っていることがある。

確かに「あの人は人には厳しいけど、自分には甘いよね」と言っている人を時々見かけます。
その人自身が自己矛盾に気づいていないということ=自分のことを人前で「私は自分に甘く、人には厳しいです」と言っているようなものだということになりますね。
うーん、恥ずかしい😰
これは自分にもあることなので、何か発言する前に「他人の批判はすごく簡単」ということを思い出して言葉を発したいですね。

●「知っている」と「知らない」

人は知識を得れば得るほど「知らない」が「知っている」に変化します。
なので「知らない」状態から「知っている」状態への流れはないということになります。
知ってしまったことを「知らなかったこと」にするのは不可能。

「知っている人」が「知らない人」に対して持つ優越感が自己矛盾の元凶になります。
そして優越感と共にそれを「教えたくてたまらなくなる」という現象が起きる。

この「知っている」と「知らない」の非対称性や、知っている人が知らない人に対して抱く優越感が「無知」と「無知の無知」というメタレベル間で矛盾を引き起こすことこそが、自己矛盾の構造的な要因

と書かれています。
無知そのものが問題なのではなく、「無知の無知=自分が無知であることを自覚していない」というメタレベルの無知が問題だと提言しています。

このメタレベルの無知とは「常識がない人」や「リテラシーが低い人」を指すのではなく(無知な人)、中途半端に知識があるゆえにこのような人をバカにする「自分を『有識者』だと思い込んでいる人(=無知の無知な人)」のことを指しています。

これもまたテレビのコメンテーターやSNSで誰かを批判している人がそうだと感じます。
無知な人を批判することにより、自分が有識者だと思い込んでいる無知の無知な人間だと宣言しているようなものですよね。

こう聞くと一番たちが悪く聞こえますね。

●「経験済み」と「未経験」

何かを経験した後で、別人のように意見が変わってしまうことがあります。

いつの時代も先輩がいて後輩がいます。
先輩たちは自分たちが試行錯誤しながら歩んだ道のりを振り返って理想化することで、今もがき苦しんでいる後輩たちに説教を始める。
この構図はまさに「経験済み」と「未経験」の関係性です。

マクロレベルから見たら大した差はないのに、ミクロレベルから見たら「経験している自分が特殊に見える」というバイアスにハマっているということになります。
且つ、そういった人たちのことを指摘すると猛烈に反論することが多々あります。
当事者は自分が特殊であるということだけに目がいって「実は同じ」「大差はない」という視点を持ちにくくなり、なかなか気づくことができない。

これも本当によく見受けられることだなぁと読んでいて感じました。

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本当は
●「言うこと」と「やること」
●「気づいた人」と「気づいていない人」
が残っているのですが、2,000文字をとっくに超えてしまったので、今日はこの辺でやめておきます。

「自己矛盾劇場」を読んでいるとまさに「自分が滑稽でたまらない」という感覚に陥ります。
いかに自分に矛盾があり、バイアスがかかっているのかがわかります。
明日も引き続き細谷功さんの著書「自己矛盾劇場」の感想を書きたいと思います。

今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました🤗
みなさまにとってステキな1日でありますように✨
それでは、いってらっしゃい!!


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