見出し画像

地味な観光協会推薦 地味な観光地⑧新大阪センイシティー ゆめっせ -繊維業界夢の跡そして、夢の続きー

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 

大阪は明治時代、繊維工業が盛んだったイギリスのマンチェスターになぞらえて「東洋のマンチェスター」と言われていました。繊維工業が盛んということは、“川下”にあたる衣服の売買も盛んになります。(写真は『大阪府写真帖』東洋紡績株式会社)

昭和44年、大阪駅前再開発に伴って、付近にあった繊維卸問屋を新大阪に集約し、「日本最大の繊維卸団地」新大阪センイシティーがスタートしました。開業時、3館を擁し、店舗数は350店舗もあったそうです。(写真は『新大阪の研究』より)

私の記憶が正しければ、昭和50年前後だったと思います。山口県の親戚のうちに遊びに行ったときのことです。親戚の知人で洋品店を営んでおられる方が、「センイシティ―に仕入れに行ってくる」と仰ってました。きっと、各地から仕入れに来られたのではないでしょうか。

当初から遠方から仕入れに訪れることが計算されていたのか、センイシティーには新大阪センイシティホテル(こちらの表記は「センイシティ」長音がない)も併設されてました。

余談ですが、この新大阪センイシティホテルに関する情報はGoogle先生でもご存じなかったようです。(後継のドーミーインは出てきます。先生の名誉のため)昔、買った『ホテルガイド 関西』(昭文社1996年)に載ってたんですよ。捨てずに置いておいてよかったです。

全盛期にはセンイシティー全体で数百億円規模の売り上げがあったともいわれています。商品購入1万円で100円の金券をプレゼントするというポイントカードも早くに取り入れ、金券が2~3億円分出ていったという証言もあります。まさに「センイ卸のマンモスタウン」(CMより)でした。

そう、CMといえば、ポスターも今から見れば過激と思えるようなものでも有名?でした。イケイケどんどんという時代だったんでしょうね。一説には繊維卸という地味な感じを払拭するためとも言われています。

しかしながら、繊維業界では、しまむらのようにメーカーから直接仕入れるものやユニクロのように製造・販売まで行うという形態が増え始め、卸問屋を通さなくなっていきます。結果、新大阪センイシティーでもテナントの閉店が増えていきます。

3館あったセンイシティーも、1号館はIT企業のビルに。3号館は、ホームセンター・スポーツ用品店に。2号館の跡地はそのほとんどがスーパーマーケットに2号館の跡地の一部に4階建てのビルがあり、30店舗が入居する「新大阪センイシティ―」として営業をしています。

新大阪センイシティーに行って、1号館・2号館・3号館をぐるっと歩いてみてください。その規模の大きさにきっと感嘆の声を上げるのではないでしょうか。

大阪の繊維業界の歴史を感じることができる観光スポットです。過去、年間何百億円も売り上げ、栄華を極めた新大阪センイシティ―。ただ春の夜の夢のごとし。まさに「ゆめっせ」

新大阪センイシティーは卸売の店舗の集まりですが、小売もしてくれます。卸売りのお店なので、当然、夢のような価格で。

アクセス JR・大阪メトロ 新大阪駅徒歩10分。 大阪シティバス センイシティ前、大阪シティバス・阪急バス センイシティー南 下車すぐ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?