呼吸する闘争心〜テニスATPファイナル2016〜

※この文章は2016年11月に書いたものです。2021年のウィンブルドン、4年ぶりにセンターコートに帰ってきたマレーめでたいということでアップしました。

 アンディ・マレーという選手の最初の記憶は、プロデビューしたての18歳だった05年のウィンブルドン。ワイルドカードで出場した初めての全英で、いきなり3回戦まで勝ち進み、18シードのナルバンディアン相手に2セット先取のフルセットで敗れるという鮮烈な登場っぷりだった。くるくるの癖っ毛にふくれっ面で、タッパはあるけどひょろひょろの痩せっぽち。イギリス人チャンピオンの不在を長く嘆き続けてきた聖地ウィンブルドン。この日を境にその期待は、正統派のサーブアンドボレーで愛されながらいまいち幸薄かったティム・ヘンマンから、まだ半分少年のようなスコットランド生まれの新星に全権委任されることとなる。

 あれから11年。後半失速したジョコビッチを、気がついたら追い越した、というかたちで長かった2位をようやく返上、初めて世界ランク1位となり、ツアーファイナルでも決勝でジョコビッチをきっちり下して年間チャンピオン決定。ウィンブルドンは13年に初制覇を果たして期待に応え、今年2回目の戴冠。ウィナーと同じくらいアンフォーストエラーをやらかして負けるのも見た。ミスを全部ねじ伏せるようにウィナーを決めて勝つのも見た。アイデンティティで揉めてた時期もあった。12年ウィンブルドン初めての決勝進出、あと一歩届かずフェデラーに敗れ、涙で声を詰まらせたインタビュー。同じ年の全米、レンドルコーチとともに初めて掴んだグランドスラムタイトル。いろんなことがあった。この10年余り、主役がフェデラーでもナダルでもジョコビッチでも、その道のりに必ずマレーはいた。だから、やっぱり感慨深かった。マレーが、あの背ばっかひょろひょろ高い痩せっぽちの男の子がチャンピオンになったのかあ。

 勝っても負けてもわあわあひいひい。気性の激しさは諸刃の剣で、それに足を取られて自滅することも多かったけど、気がつけばもうそれはずいぶん前のことなんだなあと、最近の安定ぶりを見ながら思う。いまでも試合中は、パッシングショットを決められてはわあわあ、ミスをしてはひいひい。この人相変わらずずっとわめきまくってるわ、と思わず笑ってしまうけれど、以前は空回りしてたそれが、いまは純粋な闘争心としてマレーの中を正しく循環しているように見える。息を吐くように。苦しくなって息を吸うように。オトナになったのかな。今年はおとうさんにもなったんだもんね。

 ツアーファイナル、個人的に今年のベストバウトは準決勝のマレー対ラオニッチ戦。つい3日前の錦織戦で樹立した最長試合時間記録をあっさり塗り替える3時間38分、ほとんど意地で勝ち切ったマレーは素晴らしかったし、ビッグサーブに加えストローク戦でも互角以上に打ち合ったラオニッチも素晴らしかった。わずかに勝敗を分けたのは、わあわあひいひいだった、としか言いようがない。ああもうああもうなんなんだなんなんだ疲れたもう帰りたい帰って寝たいくそくそでも負けるもんかぜってー負けるもんか。日本語以外さっぱり、の私がマレーのわあわあひいひいに字幕をつけるとしたらこんな感じ(笑)。

 ただでさえ過酷なツアースケジュール。今年はオリンピックもあってさらにタイト。勝ちまくったマレーはほとんどの大会でフル日程フル参戦。早めに負ければひと息つけるけど、呼吸のような闘争心が彼を勝たせ続けた。走ること、追いかけること、ボールを打ち返すこと、戦うこと、マレーは最後まで何ひとつあきらめなかった。フィジカル含めた技術の高さ、と言ってしまえばそれまでだが、マレー戦で力尽き、チリッチ戦で途中から気を失い、ジョコビッチ戦で何も出来なかった同胞の期待の星とは残念ながら明らかに次元が違った。世界が認める技術の高さ。でも勝てないのはなぜだ。アンディ・マレーが答えだった、巧いことと強いことは、違うのだ。

 ラオニッチ戦、ママ・ジュディはファミリーボックスではなく、なぜか3階席から観戦していた。なんかわかる気がした。もう最前列で息子の姿だけに目を凝らす必要はないと、おかあさんは思ったんだと思う。1万7千の観客もろとも、風景を見たいと思ったんじゃないかと、妄想する。なぜなら息子はチャンピオンだから。勝つって、信じていたから。

 ああ、今年のテニスが終わった。またすぐ始まるけど。短いオフを経て、新しいチャンピオンの新しいシーズンに幸あれ。まだまだやる気満々のフェデラーとナダルの帰還も心待ちにしつつ。NHKさま、願わくば日本人選手がいなくなってもマスターズシリーズカバーしてね。選手の皆さん、ありがとう、おつかれさまでした。

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