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藤島大さんのこと

 クレジットを見なくても、出だしの一行で、あ、と気づく。スポーツライティングの界隈で知る人ぞ知る名文家である藤島大さんの文章に出会ったのは、たぶんもう四半世紀近く前、100年が次の100年にバトンを渡す頃に愛読していたNumberの誌面だったと思う。ベテランから新しい人まで、さすがNumberだから上手に書く人はたくさんいたけれど、何を書いても言葉の匂いのする、既存のスポーツ記事とは一線を画す藤島さんの文章がとても好きで、いつも楽しみに読ませていただいていた。もともと、きちんとしているけど時々どうしようもなく(と言うかほとんど取り乱す勢いで)感傷が勝る、佐瀬稔さんの書くボクサーやクライマーの話が好きだったというのもある。わたしは音楽家だけれど、バイブルはビートルズでもストーンズでもなく、佐瀬稔と藤島大、と、いまも思っている。この両氏に通じるのは、文章に「詩がある」ということだ。

 その藤島大さんが講師のひとりに名を連ねる講座が開かれる、ということを知ったのも、Numberのちいさな広告だったと記憶している。主催はラジオたんぱ(現・ラジオNIKKEI)。スポーツジャーナリスト講座。もしかしたら、女性のための、と銘打たれていたかもしれない(受講者が女性ばかりだったので)。詳しいことはもうよく覚えていないのだが、とにかく、藤島さんに会えるらしい! というだけでワクワクしながら申し込んで、01年秋から翌春まで、月にいちど、赤坂の古いビルの会議室に通うことになった。

※ラジオNIKKEIの現在の社屋は虎ノ門。いやでも虎ノ門に通った覚えはない、たしか赤坂、と思って調べてみたら、わたしが通った頃、ラジオたんぱの本社はやはり赤坂の日本自転車会館の中にあった。のちに再開発で取り壊しが決まって移転したとのこと。赤坂と言っても繁華街からは離れていたし、講座は夜だったのでひと気もすくなく静かだったせいもあると思うが、古ーい重ーい昔のビル、廊下もトイレもなんとなく薄暗くてひんやりしていたのをなつかしく思い出す。

 期間中、藤島さんの日は2回か3回くらいだったと思う。初めて会った藤島さんは、大きくはないけれど分厚い体(なるほどかつてフランカー)を、もじもじと折り曲げながらにこやかに話す穏やかなひとだった。02年秋のワールドカップ日韓共催を控え、当時はサッカーブームど真ん中。20人くらいいた受講者ほとんどが「好きなスポーツは?」「サッカーです」。全員女子ゆえさらに言えば「中田ヒデです」という時代。そんな面々を前に、講座の初回藤島さんは「たくさん読みなさい」と言った。「いい文章をたくさん読んでください。皆さん、誰が好きですか? 僕はね、井伏鱒二が好きなんです。いいですよー、井伏鱒二」。Numberはもちろん、サッカー雑誌の記事や書籍はもちろん熟読してます、みたいなひとたちが集まった会議室に、「井伏鱒二」という単語が大量のはてなマークとともにふわふわ浮かんでいた瞬間が忘れられない。でもその瞬間、確信したのだ。書くもの同様、このひとを信じていい。

 課題をもらって、必死に書いて提出。プリントアウトされた講評が手元に残っている。いまでも時々こっそり見返す。わたしの宝物。

 次にお会いするのは15年後、2017年冬の新潮講座「スポーツライティングの作法」。時は移り、たまたまネットで広告を見かけ、パスマーケットでチケットを買った。お申し込みありがとうございます、のメールが残っていた。新潮講座、現在は「新潮社 本の学校」と名前が変わり、オンラインで各種講座が開講されているようだが、わたしが受講した頃は対面集合。年明けから浅い春に至る3ヶ月、月にいちど藤島節を聴くべく、最寄りの東西線神楽坂駅ではなく大江戸線牛込神楽坂駅から、袖摺坂という色っぽい名前の坂の石段を登って、新潮社に程近いビルの中にあった新潮講座神楽坂教室に通った。

 冒頭の写真は、その7年前の講座の時に藤島さんの言葉をメモしたノートである。ほんとうのことをあつめて嘘を書く。実は忘れていた。思い出すきっかけは、こちら。

 2023年11月リリース。正確には藤島さんが書いたものではなく、スポーツライティングについて藤島さんが語ったことを、同じくスポーツライターの三谷悠さんが聞き書きとしてまとめたものである。このタイトル。怠惰ゆえ人の話を聞きながらあんまりこまめにメモを取ったりしないのだが、あの時なぜか咄嗟に書き留めたわたし、エラかった。そう言えば若い頃好きだった作家の森瑤子さんも「小説は根も葉もある嘘だ」っていつも言ってて、ああいいなあと思ったっけ。

 まえがきで藤島さんが三谷さんのことを書いている。三谷悠さんは、2005年夏のラジオNIKKEI主催「スポーツジャーナリスト講座」の受講生だったとのこと。ありゃ、そうだったんだ。わたしの後輩じゃん(失礼!)あの講座あのあとも続いてたんだ(失礼失礼!!)。藤島水系の支流発見。勝手に感激した次第。

 実際に受講して姿も声も知っているので、ああそう、こういう話し方、こういう語り口、と頷きながら読んだ。ですます調が正しい。取材の相手がどんなに歳下でも、敬語で、お話を伺ってもよろしいですか? から始める、と話されていたのを思い出す。あの頃、選手と親しくなって、タメ口でのやりとりを書く、みたいなことが一部もてはやされていたので、暗にそういうことへの嫌悪感をほのめかしているのかな、と思った記憶がある。立場は逆だが、弟子筋に当たる三谷さんとのセッションでも、きっとですます調でていねいに語られたんだろうなと想像する。

 見事に仕分けし、束ね、愛をこめてひとつの書物に仕上げた三谷悠さんに、ただただ感謝でいっぱいだ(インタビューの文字起こしって、何回かやったことあるけどものすごく大変なんです)。わたしの新しいバイブル。エラそうに聞こえたらすいません、でも、ほんとうに良いお仕事をされたと思います。

 スポーツライティングの教室、とサブタイトルがついているけれど、この本は、ものを書く人、言葉で何かを伝える仕事をしている人はもちろん、「言葉を使う」どんな人にもいろいろなヒントを与えてくれる一冊と思う。文中の藤島さんの言葉を借りれば「本書ももててほしい」心からそう願いつつ、でも、この哲学、この思想、感性の向き、感傷の場所、自分だけのものにしておきたいなー、なんて、そんな気持ちにさせてくれる本です。

 7年前の新潮講座で聞いた、もうひとつの忘れ難い言葉。「ちょっと待てよ、と思うこと」。世の中がひとつの流れに極端に傾く時、安易に同調するな、流れに棹差すな、という教え。あの時はジャーナリズムの観点からの話だったけれど、その後はからずも疫病騒動に巻き込まれる中で、この言葉はわたしを支える指針となった。

 クレジットを見なくても、出だしの一行で、あ、と気づく。藤島さんの文章には、いちいち「藤島大」と名前が書いてある。それはたぶん、技術とかセンスじゃなく。何を伝えるかではなく、どう伝えるかに心を砕くこと。その格闘の痕跡が作文と表現を分け、信頼を勝ち取る。何事もなかったように匂い立つ言葉。文字ではなく。だから藤島大さんはSNSを一切やらない。

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