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雛形(ひながた) 訪問歯科衛生士の怪異

お世話になっている怪異伝播放送局さん用書き下し第二弾です!
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            雛形(ひながた)

 沖(おき)川(かわ)さんは、山陰地方のとある地域で訪問歯科衛生士をしている。
「男の歯科衛生士さんって珍しいね、ってよく言われますよ。あと、訪問歯科診療って何って聞かれることもあります。同い年ぐらいの子だと、ピンとこないみたいですね」
 二十代中盤である彼と同年代の人たちであれば、知らない方もいるだろう。
 訪問歯科治療とは読んで字のごとく、通院することが困難な高齢者や障碍のある方たちのために、歯科医が自宅や施設などを訪問し、治療をおこなうことである。
 昨今の日本の高齢化にともない、訪問歯科医も増えているという。
 沖川さんはその訪問歯科医をサポートする歯科衛生士なのだ。
「自宅や施設に伺うときは、歯科医の先生と僕、あと歯科助手の女の子と三人チームを組んで回ってるんです。治療するために使う器具って、けっこう重いんですよ。先生も女性だから、男の僕がいて助かるっていってくれてますね……実はあの日も、三人で訪問したんです」

 今から約二年前の冬。
 その日、沖川さんたちは午後四時に、新規の患者宅に訪問する予定を組んでいた。
 繋がりのあるケアマネージャーから連絡が入り、認知症を患っている高齢の女性が奥歯の痛みを訴えている、早めに受診をお願いできないか、と依頼があったのだ。
 更に容体(ようだい)を詳しく聞くと、認知症がかなり進んでおり、被害妄想の上、他害(たがい)行為もたびたびあると説明された。
「暴れたり、他人に危害を加えてしまう患者さんは、その方のかかりつけの医師と連携して診ます。治療の前に医師から処方された精神安定剤を服用してもらうんです。歯を削っているときに万が一暴れたりしたら、大変ですからね。患者さんに大怪我をさせてしまう危険性がありますから」
 この認知症の女性は日頃から、安定剤を処方されていた。
「安定剤を使用して落ち着いた状態であれば、こちらも安心して治療に専念できます。『診療する三十分前には服用させてください』と、家族の方――認知症患者の娘さんでヨウコさんという名前の方なんですが、彼女には前もって電話でお願いしていました」
 他の患者もたくさん受け持っている沖川さんたちは、何とかやりくりをしてケアマネージャーから依頼を受けた次の日の夕方に、訪問予定を立てた。

 治療に使う機材が多いため、移動手段はいつも車である。
 ナビを頼りに走っていると、目的地を知らす案内が流れた。
 ヨウコさんの自宅は、大きな古い家であった。手入れが行(ゆ)き届いていないらしく、庭には雑草と木が生い茂り、入口の門扉(もんぴ)は片方が取れかかっている。廃墟とまではいかないが、長年人が住んでいない空き家のようであったという。
 表札を確認しつつ、呼び鈴を押す。
「お待ちしておりました」
 五十代ぐらいであろうか。白髪まじりの髪をひっつめた女性が出てきた。おそらく昨日電話で話したヨウコさんだろう。その表情は疲れ果てたように、やつれていた。
「薬は飲ませたんですが母はまだ、落ち着いていないようで……」
 玄関先で靴を脱いでいると、娘さんは困ったような声で話しかけてきた。
 家の中は糞便の匂いが微(かす)かに残り、認知症の母親が手当たりしだい投げたのだろう、廊下にはクッションや本、プラスチックのコップまでもが散乱している。
「泥棒!」
 突然の叫び声に驚愕するといつの間に現れたのか、廊下の突き当りには大きなぬいぐるみを抱えた一人の老婆が立っていた。
 鳥の産毛のような髪が申し訳程度に生えている頭部、白く濁った眼、和紙をくちゃくちゃに丸めたあと、広げたような皺だらけの顔には、般若さながらの憎しみに満ちた表情を浮かべ、こちらを睨(にら)んでいた。
「ヨウコ、警察! 警察を呼びなさい!」
 不意打ちをくらい狼狽えていると、ヨウコさんは慌てて母親をなだめだした。
「お母さん、歯医者さんよ。今日、歯を診てもらうって教えたじゃない」
 母親は寄り添うヨウコさんの顔をひと睨みすると、「あんたは呪われた子だよ」と捨て台詞を吐き、奥の部屋へと消えていった。

 主治医に連絡をとり、安定剤をもう一錠服用させ、薬が効くまでの間、全員応接室で待機していた。
「しばらくすると、ヨウコさんがお茶を持って入ってきました。そのとき彼女、セーターを着てたんですが、腕をまくっていましてね……」
 腕にはたくさんの歯型がつき、治りかけなのか所々青黒く変色していた。
 皆の視線に気が付いたのかヨウコさんは、母親が暴れたときに噛(か)みつかれた、と申し訳なさそうに説明をはじめた。
 彼女の話によれば母親は普段、自室で寝ていることが多いのだという。だが一度(ひとたび)スイッチが入ると被害妄想がはじまり、ヨウコさんを泥棒と間違え、追い出そうと荒れ狂う。物を投げつけ、ヨウコさんに襲いかかり、殴る蹴るの大騒動を展開する。
 そしてひとしきり暴れ終わると母親は我に返り、部屋の惨状を見て泥棒が入ったと誤認(ごにん)し、警察を呼んでくると家から出ていってしまうという。
「母は自分のしでかしたことを、忘れてしまうんです。止めてもすごい力で私を振り切って、家の外に飛び出してしまう。それを追いかけるのも、大変なんですよね」
 彼女は全てを諦めてしまったかのような顔で話している。
 自身の窮状を淡々とした口調で語るヨウコさんを前に、皆、言葉を失ってしまった。初対面の患者の家族に対して歯科医が何もできることはなく、かといって個人情報を質問する訳にもいかず、三人とも黙って彼女の話に耳を傾けるしかなかった。
 けれども本来、ヨウコさんは無口な方なのだろう。上記のことを語り終えるとうつむき、黙ってしまった。
 部屋には、気まずい空気が流れだした。
「まぁ、先生はある程度そういう話や空気にも慣れていたみたいですけど……僕は耐えきれなくて居づらかったですね。助手の女の子もそうでした。
それに、少しでも明るい話題をした方が、ヨウコさんも気晴らしになるかなって思ったんですよ。
ときどき奥の部屋からは、母親の意味不明な雄たけび声が聞こえてくるし。
その度にヨウコさん、目をつぶるんですよね。できるだけ、母親の声を聞かないようにしてるみたいでした……。
で、何か明るい話題を出そうと部屋を見回してみたら、雛人形が飾ってあったんです」

 桃の節句にはまだ早いが、サイドボードの上にはケースに入ったお内裏(だいり)様とお雛様が置かれていた。
「雰囲気が明るくなるかもって『綺麗ですね』って声をかけたのが間違いでした。『母が唯一、私に買ってくれた物なんですよ』って、またどんよりした顔でヨウコさんに言われちゃって……」
「この着物の柄、すっごく素敵ですね!」
 再び暗い空気が流れはじめたとき、助手の女子が助け舟を出してくれた。      わざわざソファーから立ちあがり、ヨウコさんと一緒に雛人形を見始めたのだ。
 歳は離れていても女性同士である。楽しそうに話している二人の姿を見て、沖川さんはホッと胸を撫で下ろしたという。

 母親が落ち着いた頃を見計らって、診療は開始された。
 先ほどとは打って変わって、すっかり大人しくなった母親の治療はスムーズに進んだ。
「はい、終わりましたよ。口をゆすいでくださいね」
 目をつぶっていた彼女に沖川さんが優しく声をかけると、母親はガっと目を見開き、パクパクと声を出さすに口を動かし、何かを訴えているかのような行動をしたという。
「そのときは、頭の中の設定が変わったのかって軽く考えていたんです。僕たちのこと、また泥棒だって思っているのかなって。だから、落ち着かせるよう適当に声をかけました。大丈夫だよって何度も話しかけていたら、安心したように眠ってしまいましたね」
 
 ヨウコさん宅を出て、次へと向かう車内でのこと。
「僕が先生と、ヨウコさんの大変さを話していたら、レントゲン撮影機を忘れてきたことに気づいたんです。でも、引き返すと次の患者さんの約束の時間に大幅に遅れてしまう。ただ次はその日最後の訪問でレントゲンは使わないし、終わったら僕一人で取りに行くってその場で決めました。そしたら――」
「やめたほうが、いいと思う……」 
 助手の女の子が、しきりにヨウコさん宅へ行くことを反対してきた。
 理由を聞いても、嫌な予感がするというばかりではっきりしない。
 沖川さんと歯科医の先生は、認知症の患者と初めて接したから動揺しているのだろうと、このときはあまり相手にしなかったそうだ。

 最後の患者の診療を終え、二人を診療所に送ると、彼はまた一人、ヨウコさんの自宅へと車を走らせた。
 日がとっぷりと暮れた仄暗さのなか、家に近づくと何かが焼けるような匂いと煙が漂ってきた。
 パチパチと火が爆ぜるような音も聞こえてくる。
 もしかすると認知症の母親が、火をつけたのかも――。
 家の灯りは全て消え、人がいる気配はなさそうだった。急いで匂いと煙、爆ぜる音の方向に意識を集中させると、どうやら広い庭の隅の方で燃えているようだ。
 慌てた彼が庭に回ると、まだ小さく燃える火の前には、女性らしき人影が見えた。
 こちらに背を向けた状態でしゃがんでいる。その様子はまるで、“たき火に当たり暖を取っている人”のようであったという。
「お祖母ちゃん、こんな遅くに何やってるの?」
 驚いた彼が声をかけると、女性はわずかに振り返った。
 炎に照らせれ、チラチラと見えるその横顔は、ヨウコさんであった。
 彼女は目から涙を流し、肩を震わせている。
 ああ、ヨウコさんは辛いんだ。
 身を挺(てい)して介護をしているというのに、実の母親は分かってくれない。
 認知症を患っているのだから仕方がないことではあるが、暴力まで振るわれていることを考えると、胸が痛んだ。
 やりきれない思いに駆られた彼は、ヨウコさんに近づいて慰めようとした、そのとき。
「ひっ」
 しっかりと沖川さんの方を向いた彼女の口元は、笑っていた。
 心の底から楽しんでいるかのように口角を上げ、にっこりとほほ笑んでいる。
 恐怖にかられた彼は、見てはいけないと視線を外した。外した視線の先にはたき火があり、燃えているのは『母から唯一買ってもらった物』だという、あの雛人形であった。
 ヨウコさんは立ち上がると、後ずさる沖川さんに「これでしょ」と、忘れていたレントゲン撮影機を手渡してきたという。

「僕は挨拶もそこそこに、逃げ帰りましたよ。人間の怨念というか、まるで呪いの儀式でもしてるような彼女の姿が怖かったんです……診療所に帰ってから、僕は二人に洗いざらい話しました。一人では抱えきれなかったから」
 先生は笑って受け流していたそうだが、助手の女の子は違った。沖川さんの話を真っ青な顔で最後まで真剣に聞いていたそうだ。
「帰り道先生と別れて、助手の子と二人になったとき、教えてくれたんです」
「実はね、私の実家の近くに、いわくつきの神社があるの」
 同じ県内にある彼女が生まれ育った集落には、とある山の中に、地元の人も滅多に近づかない小さな神社がある。
 その神社に釘を刺した雛人形を持っていき、その場で呪いたい相手の名前を唱えながら燃やすと、呪いが成就(じょうじゅ)するという言い伝えがあるのだ。
「その呪いね、地元では“雛形”(ひながた)って呼ばれているの」
 そう教えてくれた助手の女の子は、しきりに母親のことを心配していた。
「助手の子、ヨウコさんの家で雛人形の着物の柄の話をして盛り上がってたって話したでしょ。で、見ちゃったらしいんですよ。僕と先生は気づかなかったけど、二体の人形の首に、細い釘が打たれてたって……その場では、どうにか誤魔化したみたいですけど、かなり動揺したって。でも僕は、それは違う、『雛形』じゃないって彼女に言いましたよ。だって、ヨウコさんはそのいわくつきの神社で、雛人形を燃やした訳じゃないし。だから僕は呪いなんてかかる訳ないって、助手の子に何度も言い聞かせたんです」
 おそらく、その呪いを聞きつけたヨウコさんが、ストレス解消のためやっただけだ、と沖川さんは思い込もうとしたそうだ。

 それから五日後のことだという。
 沖川さんが診療所で医療器具を消毒していると、ケアマネージャーと電話をしていた先生から、ヨウコさんの母親の診療の打ち切りが伝えられた。
「僕らが診療した日の晩、彼女の母親は失踪したそうです。二日後に見つかったときは、半分焼けただれた状態で発見されたって……」
 遺体の近くには灯油が入ったポリタンクが置いてあり、灯油をかぶった状態で火をつけたと、検視の結果も出たそうだ。
「呪いかどうかは、やっぱり分からないですよ。僕はそうじゃない、偶然だって自分に言い聞かせてますけど……。ただ気になってるのは、あの親子の関係なんです。母親から唯一買ってもらった物が、雛人形だけっておかしくないですか? それにあの母親が言った『あんたは呪われた子』っていうのも、異常性を感じるんですよね……でも、いくら母親が毒母だとしても、呪い殺すことなんてあり得ないでしょ? 仮にも自分を産んでくれた母親なんですよ」
 そう力説していた沖川さんは、あれ以来、たき火の火をみるのが苦手になったそうだ。

 

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