楽しくてしかたない

いまだにepicureanとhedonistの違いがわからない。

とあるエゲレス人に、「ヘドニスト」って呼ばれたことがあるんだ。
epicureanは、「楽しくやろうぜ!」とヒッピー的な感じで
hedonistは信念をもって快楽にいそしむ確信犯か。

娘にヘンなひと言われた。

今年はじめまで京都に家族と住んでいた上の娘は
旦那さんの仕事上のトラブルで地方に一家で逃亡。
さいきんは便利なもので、居場所わからんまま、LINEでやりとりしたりしてるんですが

わたしもこないだから、普通のひとはそうそう経験しないやろうという事件に巻き込まれて、なかなか面白いことになってるのですが
もちろん大変だし、ストレス感じる部分もあるが
滅多にできない経験、へー、あれはこうなってるのか
おもしれー!
とか思ってる。

きょう娘とやりとりしていて
「なんで私らこんなに大変なことばっか起こるのかな」
と娘が言うので
「わたしはおもしろいで!」
と返したら
「かわってんな」
と言われた。

頭おかしいんかな。

前の夫関連で大変な思いしていたときに
「大変」と言って暗い顔して愚痴ってたら、人は鬱陶しがって離れていく。
「おもろ~!」
と言って笑い飛ばしていたら、現状打破していけるし
「大変なのに、おもしろがれるってすごいな」
と、人も応援してくれたりするというのを学んでから
いろんなことは経験、おもろいととらえたもの勝ちと思ってるのですが
もともとの資質もあるのかなあ。

そういやあ、高校時代の友達に
「なんであえて、大変なほうに行くのか」
とか、守りの人生を送ってきたひとに
「飛び込んでいく人なんですね」
と言われたことがある。

大学生のとき取ってた、カナダ人詩人の先生の
「グリム童話がアメリカに渡ってからの変遷」
みたいな講義がおもしろかったのですが
心理学的アプローチもあり
「自分が好きになった物語の登場人物と同じような性格になる、人生をたどる。
あるいは、自分にもともとそういう性質があるので、その登場人物を好きになる」
という話が心に残っている。

子どもの頃からギリシア神話(山室静版)が好きで
とくに、ヘラクレスの話は「ヘラクレスの道」と勝手に呼んで自分の基盤になっている。

簡単に説明すると、以下のようなお話。

父親がギリシアの最高神、ゼウスであるヘラクレス。
母親同じだが父親の違う凡庸な兄弟は王になり、
ヘラクレスは羊飼いにさせられている。
ある日、ヘラクレスがいつものように羊を連れていると
むこうから2人の美女がやってくる。

ひとりは
「わたしを選んでくれたら、きっとあなたをいちばんたやすい、そして楽しい道に案内してあげます。いろいろ楽しい思いをして、苦労や難儀をしないですみます」
と言う。
もうひとりは
「あの人の道はたいらでやさしくて、みんなが求めるものだけど、つまらない喜びしか与えません。わたしの道は苦しくてつらいけれど、ゼウスがあなたにのぞんでいるのは、きっとわたしの道ですわ」

ヘラクレスは叫んだ。
「ぼくはあなたの道をえらびます!どんなに苦しいことがあろうと、ぼくはもう途中で引き返したりはしないぞ!」

「よくおえらびになりました。それでは、あちらをごらんなさい」
という娘の指すほうをみると、ライオンが羊を襲っている。

「おのれ!」
と言ってライオンを討ちにいくところから、ヘラクレスの苦難と栄光の道がはじまります。

あたしにとっては、いろんなハプニングがおもしろく、たのしい。

…って思い出したら、やっぱわたしは苦難とかが「たのしー!」って思う性質なんかな、最初から。

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ぼちぼち書いていきますので、しばしお待ちを。

いろいろ人生経験するなかで、やくざとのつきあいもありました。受け入れるひとは限られると思われることごとをこのマガジンに収録して、あえて課金…

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