まだまだ深沢七郎

こないだ深沢七郎と衝撃の出会いをはたしてから

つぎつぎと深沢本を借りて読んでいる。
ただいまげんざいは
「深沢七郎 ---没後25年 ちょっと一服、冥土の道草 (KAWADE道の手帖) 」

本人の対談やら、エッセイやら
深沢さんについての別の人同士の対談や、エッセイやら
深沢七郎というひとをいろんな目からみて、おもしろい。
(面白くない対談やエッセイも、あるけれども)

本人の言うことがすべてじゃないなあ、ほんとうのことを言ってると限らないなあと
親しかったり、交流のあったひとびとの対談やエッセイを読んで思った。
なかでもおそらく一番長年交流のあったひとが
「めんどくさいひとだよね、でもとても魅力的なひとで、出会えてよかった」
と言ってる話。

この本を読むまで知らなんだけど、奇人変人扱いされてたのですね。
でも、いろんな人の言うこと読んで、本人の言うこと書くこと読んで、いろいろ納得。
やっぱりあたしは「しんしっつぁん」*の感性が好きだし、賛成だ。
生きて出会うことがあれば、嫌われたかもしんないけど。

すごくうれしかったというか、やはり好きなひとをたどってるのだからそうなるのかなと思ったのではあるけれど、詩人の白石かずこさんのことは好きで、だいじにしていた様子だったとのこと。

白石さんは若いころ、奔放な性生活をあけすけに語ることでも知られていて
あたしの父親の書斎の、たくさんの本のなかに白石さんの
「悦びの触角」

があり、それをコッソリ抜き取って、いまではあたしの本だなに置いてある。
後年、父は蔵書のほとんどを処分したらしいから、取っておいてほんとによかった。

また、大好きだった吉行淳之介も白石さんのことを褒めていて
白石さんは、あたしの憧れだった。

吉行淳之介が亡くなったあとの、いまから10年くらい前だったろうか。
友人が伴奏で白石さんの詩の朗読会があり、それに参加した。
詩集を買って、サインもしてもらった。
その後、打ち上げにまで参加させてもらい、うれしくてあたしは
「吉行淳之介もほめていたのを読んで」
なんたら伝えると、
「あら、あのひと、そんなこと言ってたの」
とおっしゃり、それだけであたしはもう満足。

その白石さんを、「しんしっつぁん」も好きだったんだなあ、
やっぱり感性あうや。と勝手におもう。

深沢新七は「極楽まくらおとし図」でぐわあんとやられて
図書館で本を予約しつつ、気になったひとはググるという
得意のネット検索をしたわけだけれど
写真をみて
「色気のあるひとだなあ、ギター弾きだったというし、モテたろうなあ」
と思うと同時に、Wikiに奥さんとか子どもとか、女のにおいがまったくしないので、なんだかぴぴんときて、「もしかして、このひとはゲイかな?」と思った。

「深沢七郎 ---没後25年 ちょっと一服、冥土の道草 (KAWADE道の手帖) 」
の誰かとの対談で「ずばりききますけど、ホモですか?」ときかれていて
(あ、やっぱりそういうことをみんなに思わせるフシがあったんだ)と思った。
それには、しれっと「ホモに偏見はないよ、経験あるけど平気だね。
むしろ、女よりさっぱりしていて、めんどくさいことがないから男のほうがいい」
と言っていたので、ああ、バイなのかな。とますます親近感をつよくしたわけだけれど

同じ本に載っていた、長年交流のあったひとと、数年交流があり、いろいろ調べたひととの対談で
長年交流のあったひとが
「あのひとは男の裸がだいすき。ホモですからね。女好きなフリしようとしてたけど」
とばっさり。ああそうか、やっぱり。
そいから、そのひとはさらっと「アスペルガーでしょうね」とも。
それで、いろんな対談でのズレだとか、会ったひとがいう様子だとか、
本人が書いていることにも得心がいった。

それにしても、好き嫌いがハッキリしていて、「大人の態度」なんてとらずに嫌いは嫌い、怒ったら完全に怒る、周囲にいるひとは大変だったろうけれどもやはり、その性向があの作品に大きく寄与してるのだなあ…と思う。

結論:「好きなことをするべし」

まだまだ深沢作品を読み始めたばかりだけれど、やはりこのひとの嘘偽りのない感性というのに勇気を得た。
そして興味を持った周囲のひとの言葉も読み、だんだんとじぶんのこころの持ちようが定まってきた気がする。


*なぜか「深沢七郎」を「深沢新七」と覚えてしまい、
「まあ、<深七>の愛称でもあるさ」
と勝手に「しんしっつぁん」と呼ぶことに決めている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?