わがままなのはいいことだ

オランダに友達がいる。
20年くらい前に、Skypeの前身のような、世界中のひととつながって興味の合うオンライン状態のひととチャットできるという「ICQ」というシステムがあり、そこで知り合ったのだ。

ICQでは真面目な話をできるひともいれば、エロ話、出会い系的に利用するひともいた。
わたしは両方、といった感じで、いまだに交流のある、よい友達となったベルギー人男性2人ともここで知り合った。
彼らとのいい出会いと再会についてはまたべつの機会に譲るとして、
オランダ人の友達Hとは最初から自由にいろんなことを話し合えたと思う。

当時7歳くらいだった上の娘とヨーロッパをぶらぶらする直前に知り合い、オランダでは彼が家族と住む家に泊めてもらった。
彼は元ゲイのバイで、彼女は元レズのバイで、結婚していないふたりは(オランダでは珍しくないという)計画的に2人の子どもをもうけていた。

オランダは2回目の訪問だったけれど、考え方が自由でオープンなところがとても素敵だとその時も思った。
男女、父親、母親の役割、家事の負担の割合も、すくなくともHの家庭では性別ではなく、平等に担っている感じだった。

Hとは、わたしの娘を寝かしつけたあと、夜の観光に車で連れていってもらったとき、そういう関係になった。
それ以来、オランダに行く機会がなくて会ってはいないけれど、そのときどきのチャットアプリを使っては連絡を取り続けている。お互い、自分の自由な近況を語り合って。

彼からきくのは主に「彼女がセックスしてくれない」という愚痴だったけれど
年を経るごとに、彼女との関係がどんどん悪化して鬱っぽくなるほどに精神状態も悪くなり
福祉の力を得て、ようやく別居にふみきれた、というハッピーな報告をもらったのは今年。

けれど、「男性のセックスパートナーを見つけるのは簡単なのに、女性とセックスしたいのに見つけ方、進め方がわからない」
と言う。
「アジア人の外見が好きで、近所に魅力的な女性がいるんだけれど、アジア人女性は家に縛り付けられて自分の意見を言わないひとばかりなので面白くない。」
「へえ、わたしはそんなことないけど」
「きみは、そうだよね。近くにいたらなあ。ぼくは、自分の意見を持ってるひとがいいんだ」

へえ、アジア人って欧州に住んでてもそうなんだ。
アメリカに住んでるひとはそんなことないような気もするけど、全員が全員そうでもないのかなあ。
やっぱり、出身国の「美徳」を持ち続けるのかなあ…。

そういえば、20代前半につきあっていたアメリカ人男性からも
「あんたは、わがままなのがいい」
と言われたことあったな。
その言い方ってどうよ、と思ったけれど
彼いわく、当時離婚しようとして別居していた日本人の奥さんは
「料理をきちんとする、家事完璧、男性をたてる、友達と電話でしゃべっていても、夫がそばにいると遠慮してすぐ会話を切り上げるような人」
という、「日本人の男性にとっては、理想じゃないですか~!」
というような人だそうだけれど、
「気を遣われるのは嫌。自分のしたいこと第一で動いて欲しい」
のだそうな。

そういえば、現在の夫も、
「日本人女性には興味ないけど、マリちゃんは自分があり、個性があるから魅力的」
と言われたこと、あったっけ。

わたしが好きなことして楽しく過ごしている、遊びにもでかけている、と言うと
"That's bad."
と真面目に答えたインド人男性もいたことだし、お国柄や文化、ひとの性格により一概には言えないでしょうが
欧米人は「自分の意見をしっかり持って主体的に行動、主張できる女性が魅力的」
と考えるひとが、日本人よりよほど多いように思います。

そういや、わたしが欧米人をパートナーに選ぶ傾向にあるのも
外見だけのものではなく、
「女は男のいうことを聞いて、常に男をたてて、夫が満足するような環境を整える」
のが美徳だと、女のありようだとする、男尊女卑の色濃く残る実家地方の考え方、母親の信条にうんざりしてのことだったと思い出しました。
いまの夫と一緒になり、家族を家に置いて友達と遊びにでかけるとか、そういうことだったと思うのですが、母親から
「そんなことばっかりしてると、離婚されてしまうわよ!」
と言われたこともありました。

「思い出す」というのは、ふだん忘れている、ということであり
そういう環境でたのしく過ごさせてくれる夫にあらためて感謝です。

また、いま仲良くしているお友達は、60歳すぎの日本人男性ですがいろんな意味で平等だし
(ふたりで料理つくったりもする)、わたしの意見を偏見なくきいてくれ、いろんなことを話し合えて
「マリはいいなあ」
と言ってくれます。

こういうひとがもっと増えて、日本も女性が自由が当たり前になってくるとうれしいですね。

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