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にっき(2022年6月7日 17:34)

ねこ

ねこが歩いていない。
地に向けた面だけ灰色の雲は、欲張ってアルコールをべたべたに染み込ませた脱脂綿みたいに頭上に佇んではいない。今にもコチラめがけてマリオのドッスンみたいに落ちてきそうな威勢はない。

そもそも雲がない。



ねんど


朝七時の肢体は遊び終わった後の油粘土みたいに元のパーツの形だけを残して四角く箱に詰められている。

取り出してみる。
でと、という音を立てて机へ落ちた。さっきめくった机の側面のささくれの上へ落ちた。やだね。
粘土が落ちた音で、今は朝でおきなくちゃいけないとわかった。

起きなくちゃいけないというのはつまりベッドから上体を起こして(このときに腕でベッドを押して体を支えてもいい)
足で六月のどんよりしたフローリングの上に立ち(真夏に冷房で冷えたフローリングほど踏みたいものはない)
一歩、一歩と今日をはじめなくてはならない。

今日から見てわたしは今から「今日をはじめる」のだとしてもわたしからしてみれば、今から「今日を終わらす」のだけれど、それを今日にバレたらかわいそうだから今日をはじめようとおもいます。
今日が泣かないようにしようね。

換気を効かせるために強のままになったエアコンの音が当たり前のように両耳を貫いている。この空間で聞こえる唯一の音がそれだ。
肢体に満たされているヨーヨーの中の水みたいな意識は、体の外側へ漏れ出てしまった。体と外界との境界は曖昧な線をつくって、ページをめくる指先のみ肉体へ感覚が等しく作用している。頭を横に貫通して通る音を可視化できたら、エアコンの空気は観音の円のように耳を抜けた音は頭上を通って、またもう片方の耳へ通っているのだろう。

↑以上が今よりも精神が敏感だった頃に書いて、下書きに残っていた日記でした。








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