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冬の始まりと時間のはなし

サマータイムがさっき終わった。さっきというのは今朝、10月28日の午前3時だ。家中の時計を1時間後ろに変えないと。

日曜日は読む人が少ない。というのを読んだので、日曜の夜にふさわしいどうでもい話。

イタリアの中学生は午後1時に授業が終わって家に帰ってくる。そのあとどんだけ暇なんだろう?と思っていたら、かなりがっつりした宿題があるので、午後は家で数時間は勉強している。

自分をふりかえってみると、中学生から高校生の6年間はがっちり時間が埋められていた。

学校は8時半から16時くらいまで。そのあと部活、高校生の時はバイト。時間が余っているというのは、恥ずかしいことだと。予定がない手帳を恥じる気持ち。大嫌いだった言葉でいうと「いけてない」ことだった。

それが、ここイタリアでは時間は余っているものだ。そして、その使い方の訓練が11歳から始まる。

これに比べると私の中学生時代なんて忙しかったとはいえ、1から10まで言われたことをこなすだけのものだったよなと思ってしまう。そこにいい学校に行くための塾に行く時間があったり。小銭を稼ぐためのバイトを入れたり。

だから、大学生になって「はい、今日から時間を好きにしていいよ」となっても振る舞い方が分からなかった。その前の思考がなかったから。予定を埋めるためにバイトいれたり、飲み会を入れたり、誰かの家に泊まりに行ったり。

そして、立ち止まると死ぬ。みたいな考え。外れることに対する恐怖心。マグロは泳いでないと死んじゃうんだよ的な脅し。芸能人がたった2ヶ月留学するくらいで「仕事はもうしないんですか!?」と騒がれる。

そんなのみたら、自分のように芸能人でもないような普通の人間が休むなんて・・・となるだろうなと思う。で、働く。そして不機嫌な人間が量産される。そんなのに乗らないルートを探して人はツイッターをみて、本を買うのか。

そもそも論として、自分にとっての幸せというのはどういう状態なのか。そして、それの更新はなされているか。

時間の使い方が下手。なのは、もう仕方ない。とは思うけど、手帳術の本とか読んじゃうし。毎年新しい手帳を買う。でも、結局予定は全部googleカレンダーでしか管理できないんだよね、アラーム来ないと忘れちゃうから。

久々のまとまらないおわり

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