世界は誘われない人でできている
今回ちょっと長文です(私にとって)
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この世界は誘われない人でできている。100人いれば、90人が誘われない人だ。残りの7人が誘う人で、3人が誘われる人。それに気づいたのはここ最近。
いつも人に誘われない側だ。グループ分けをするときにいつも最後まで残る子どもだった。「あの子が欲しい」と言われない子。そのまま大人になってしまった。
「何かやる時に、あいつがいた方が面白いよなって、声をかけられるような人であれ。」と、有名人が言っていた。誰にも声をかけられない私は、「人気がない=ダメな人」。誘われないのは私が悪いせいだって、いつもそう思っていた。
「誘われないなー」を超え、いつの間にかデフォルトが1人になっていた私。1人でできることが増えて、いろんな楽しさを知った。
でも、だからといって、いつも1人でいたかったわけじゃなかった。ただ必然的な1人。そんな20代をすごした。もちろんオタ友なんていなかった。1人でなんでもできることが大人になることだと思っていた。
そして30代、そんな私の世界を壊すビッグウェーブがやってきた。それが家族。
家族ができた。ずっと選ばれない側で1人だった私に、ついに理由もなく選んでくれる人たちが現れた。躊躇せず「この人たちは私が好きなんです!」ていえる安心感。最高。
物語は「誘われなくいつも1人だった私ですが、家族と幸せに暮らしました」となるはずだった。
が、そレは長く続かなかった。(なんてめんどくさいんだろう私は。)
家族ができてすぐは「もう家族がいれば良いじゃん」くらいに思っていた。なのに、私・夫・子ども、同じメンバーで過ごす毎日。たまに一緒になるママ友。それの繰り返しに向いていなかった。このまま消えるのかな?と思うほど閉塞感を感じてしまった。
家族も大事。でも、ここでないどこかの、これではない何かも求めている。自分は、なんて私はワガママなんだろう。家族に囲まれて幸せな人。仕事で楽しく過ごしている人。1人で幸せな人。いろんな人がそれなりに幸せに過ごしている。
それに対して、なんだよお前!置かれた場所で咲けよ!ワガママなんだよ!と。自分に言い聞かせていた。
でも待てよ?
「それがワガママだなんて、誰が決めた?」
私のことは私が決める。
1人でいいと思っていた。そしていまは家族もいる。でも、それ以外の誰かとつながりたい。友人でも知人でも他人でも、名前はなんでもいいから、気が合いそうな誰かとたわいのない話がしたい。これはワガママなのだろうか?それはワガママではない。
狭い深い人間関係が好きな人もいれば、浅く広い関係が好きな人ももいる。ただそれだけ。人生の時期やその時の生活スタイルによっても変わる。1人→家族→そして今の私はそれ以外の他人とのつながりも欲しい。
とはいえ、誘われない人なのは子どもの頃から1mmも変わっていない。そこをなんとかしないと。と思った。
「誘われない私」をもうちょっと丁寧に考えてみた。
誘われない私をもっと細かくいうと、「誘われたいと思いながらも、誘ってくれと意思表示できない人」もしくは「自分の興味のあるイベントにだけ誘ってくれ」と思っている。これはかなり面倒な人。
私のしたいことに都合よく誘ってくれる人なんてもともと存在しない。私の趣味だと10人に誘われたとして、そのうち1つのイベントに興味があるかな?くらいの確率。その前にまず10人もの人から誘われない。
仕方ないので、検索「友達 作り方」。
そして気づいた。この世界は誘われない人だらけだ。
なんだ!だったら、私が誘えばいいんじゃないと。苦手だけど。
手汗をかきながら知り合いにメッセージを送る。振られる、時々振られない。気になる場所に行く。同じ趣味を持つよく知らなかった人に会う。遠い知り合いより、同じ趣味の人と会う方が楽しいっていうことも知った。
この一連の緊張感がそんなに嫌いじゃないらしいことを発見した。慣れると緊張も、断られるダメージも段々小さくなっていった。でもまぁこれ、向き不向きがあるし、苦手な人は苦手なまま。嫌な場所にいくと、5分で帰りたくなる。
いまだに誘われることはほぼないけど、前よりちょっと楽しい。
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