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雪国

「あたたーァかィーー」

うたた寝から目を覚ますと、シンカンセン・エクスプレスの通路にはちょうどワゴンを引いた女性が通るところであった。ワゴンには食料やドリンク、アルコールが積まれてある。必要に応じて呼び止めるシステムらしい。

「コーォーヒーィー、コーチャーァ」

すでに窓の外は雪の積もった白い地面で、ニッポンのカワバタというNovelistが書いたように、トンネルを抜けた景色の底はすっかり白い。ただし、まだ時間が早いので空は青々としている。青と白のツートンの景色が窓の外に走るのだった。

「オベんトォォオー、イかガーデショーウぅー」ワゴンを引いた女性が軽いドップラー効果と共に行ってしまうと、車内は静かになった。席はもちろんノン・スモーキングである。目的地のアッキタ地方まではまだ2時間ほどかかる計算だった。

アッキタ地方は北にある。それしか知られていない。雪国であることと、日本語に似た言葉が話されてはいるが、また非なる言葉が飛び交っているということ(少なくともトーキョーの人間の話す言語とは異なる)、人口密度はかなり低いこと、そしてコメがよく穫れる地域であるということ。さらには温泉が多数あるということなどが知られている。数ある温泉の名前はそれぞれ語尾が「〜ユ」で終わるものが多く、多少フランス語と似ていると言えなくもない。例えば「ツルノーユ」「タマノーユ」などが知られており、特に「ツルノーユ」は有名で、全国からリラクゼーションに訪れる客が引きも切らない。あと、ちょっとボソボソとささやくような話し方もフランス的である。アッキタには「暖まる」を意味する言葉として「ヌグダマール」という言葉がある。この言葉の語尾など実にフランス的だが、反面「冷たい」を意味する言葉として、子供が「ヒャッケ!」と叫ぶのを聞いた。これは少しドイツ的だ。感嘆詞はまたルーツが違うのだろうか。実に不思議な現象である。というように一面ヨーロッパの影響が見えたかと思えば、住まう人々の顔はコーカソイドというよりは明らかにモンゴロイド系であり、日照時間が少ないせいもあるだろうが肌の色は白く、ロシアというかスラブ系の遺伝子も多少入っているのではと思わせるところもある。しかしここのところは調査不足であり、まだよくわかっていない。

私がこのアッキタ地方を訪れる事になったのには理由がある。それは私のMother(以下、ニッポン風に「母」)がこのアッキタ地方に居るということである。そしてそのアッキタの中でも、サンナイ・ビレッジの「ナンゴー」(これなど響きは南方系だ)という温泉が特別に良い、ということで彼女が部屋をリザーブしてくれたのだった。だが私は5日には任務に戻らなければならない。与えられた日数は2日しかない。いわゆる一泊二日の強行軍である。そしてナンゴーはかなりの山奥にあり、噂では携帯電話の電波も届かないらしい。

オオマガリ・シティの駅でシンカンセンを降りると、母の車で温泉へ向かう。ほとんど一年ぶりの再会になるのだが、母はとても顔の色ツヤが良い。そのことを指摘すると母は、そのナンゴーの温泉に毎朝のように入っているとのことだった。雪のドーム(「カマクラ」というらしい。イヌイットのイグルーのようなものだ)で有名なヨコテ・シティを通りすぎ、次第に街から離れていく。徐々に雪は深くなり、家は少なくなっていく。道沿いに「Vegetable uninhabited shop」があった。「野菜の無人販売所」と訳すらしいのだが、これはバスストップほどの小さい小屋に野菜が置かれてあり、人々は野菜を持って行く代わりに自己申告でもってお金を箱に入れていくシステムらしかった。にわかには信じがたいが、野菜を黙って持ち出したり、現金の入った箱を持ち去る物はいないらしい。アッキタの人々の善意には感心するばかりである。私はアッキタが好きになった。しかしこの善意の販売所も、雪深いこのシーズンには閉じられている。バスストップサイズの建物が半分ほど雪で埋まっているのを見た。  

ナンゴー温泉に着いた。建物は趣味の悪いグリーンでペイントされている。このあたりの景色は重暗い色の針葉樹に雪という、まるでニッポンの水墨画の世界そのものだ。そんな中にペパーミント・グリーンの三階建てが悪目立ちする。我々は車をパーキングに止め、フロントの案内で部屋へと向かった。建物の内部はかなり古く、廊下を歩くたびにギシギシ音がする。幾人かのユカタ姿の人々とすれ違うものの、10〜30代の人間はまず見当たらない。すなわち小さい子供と、中年以上の年代のみがこの宿の対象年齢なのだった。階段を一つ上がったフロアの小さい部屋へと通される。2階だと思ったが部屋番号は302、エッシャーのだまし絵のような部屋である。タタミ張りの小さめの部屋の窓を明けると、水墨画の風景が目の前に広がり、辺りは限りなく静かである。建物の敷地は広く、オープンバス、つまり露天風呂が左側に見える。雪景色に湯気を白く上げて暖かそうだ。まずは露天風呂に行ってみよう。このナンゴーは「カケナガシ」という本物の源泉ということで、その効果は絶大だという。母もこのカケナガシのおかげで五十肩(注:当時)が治ったと言っていた。夕方の大浴場、露天風呂は混み合っており、中年と老人と子供でにぎわっていた。こんなに遠くて不便な場所にある施設なのに人気があるようだ。露天風呂にゆっくりつかると湯気がモクモクと湧き上がる。風呂のすぐ外は白い雪なのだ。お湯から出ている顔と頭だけがひんやりと冷たく、お湯につかっている肩から下はポカポカと暖かい。熱くなって風呂から出ると、雪国の冷気がすぐに体を冷ましてくれる。また風呂に入る、その繰り返し。数十分入って、風呂から上がる。ベンダーでキリンビールを2本買って部屋に戻って、母とゆっくり色々話す。

キリンが2本空いた頃、部屋の電話が鳴った、ディナーの用意ができたということだ。1Fのホールで膳がセッティングされているらしい。白地にグリーンの模様にパープルの帯、ダークブルーの上着という凄いセンスのユカタを羽織ってホールへ向かう。広々としたタタミ敷きのホールの真ん中にちょこんと、膳が用意されていた。家でなくて宿が良いのは、母に料理をする手間を掛けさせなくて済むことだ。ドリンクにキリンとアツカンを頼み、母と差し向かいで食べ始める。料理は非常に盛りだくさんで、ハタハタ2尾、テンプラ、トーフ、チャワンムシ、アゲモノ、ブラックビーンズ、ミソスープ、ギョージャ・ガーリック・ヌードル、アキタコマチ、そしてキリタンポナベである。膳からあふれそうなディナーをつつく。キリンとアツカンで気分よく酔った。母からの情報では、ここにはもう一つの風呂があり、夜11時にお湯の入れ替えが終わるため、その時間に入るのがお湯がきれいで良いらしいのだ。

部屋に帰って、2時間ほど寝た。起きるともうすぐ11時だったので、噂の風呂に行ってみる。「元湯」と書いて「モト・ユ」と読むこちらの風呂の方が、より効果があるとのことである。深夜の温泉。電気すら点いていない。自分でスイッチを入れて照明を明るくする。もちろん、誰もいない。オープンバスとはお湯の匂いが違う、それはより強い硫黄臭。お湯に入ると、お湯の感触が特殊な感じなのだ。お湯の温度も非常に高いし、体が格段にポカポカと暖かい。ゆっくりと入って、部屋に戻ると母はまだ戻っていないようだった。母はかなりゆっくりと入ったようで、しばらくたってから部屋に戻ってきた。どうだった?と聞くので、さっきと全然違うと正直に答える。本当に違うのだった。血行が明らかに良くなり、体の芯が脈打つのを感じる。肌がなにもそこまでというほどツルスベで、何よりここ数週間治らなかった額の吹き出物があっという間に引っ込んだのには驚いた。薬に浸かっているような状態なのだろうか。ナンゴーは凄い。モト・ユはもの凄い。その日の夜は自分の体中を血がドクドクと駆け巡るのを感じて眠れないほどであった。体中を脈打つ鼓動を感じながら、それでもいつの間にか眠っていた。

朝起きると雨であった。もう一度モト・ユに入って朝飯である。ミソスープ、ナットー、ノリ、イクラ、ドリンクはヤクルト。チェックアウトの10時ちょうどに宿を出る。雨は激しい雪に変わっていた。サンナイ・ビレッジは依然として水墨画の世界である。やはりスラブ系の名前と思われるシンカンセン・エクスプレス「コマチ」の時間まであと3時間半。ドライブをして、ミュージアムを廻って、Souvenirを買って、ランチにラーメンを食べた。そして激しい雪の中、駅の前まで送ってもらい、別れた。帰りのチケットは取れなかったので、「コマチ」の立席を買って行く。全席指定の「コマチ」は立席でも指定なのだった。ホームで「サケ・ハラコメシベントー」を見つけたが、食べ過ぎでとてもお腹に入らない。乗車してデッキに立つとコマチは走り出した。車掌が通りがかったので、ダメモトで席は空いてないか聞いてみた。ラッキーにも席はあるという。聞いてみるものである。アッキタからトーキョーまで4時間弱。窓際の席に座ると、吹雪の水墨画に光が射してきた。体はまだ、ポカポカと暖かかった。  

やぶさかではありません!