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或昼鼎男、対酒当歌。

さて至福の時たるは真昼の酒といえども、日々の生業、すなわち仕事中のそれとなれば話は別である。とは言え小振りな器の「ランチビール」なるものを供す店もあるのだから、すべからく客がその甘露な背徳を一身に懺悔すべきかどうかは怪しいものである。曰く、欲望はその対象の存在を認めることで初めて発生するものだからだ。仮にラーメンという物がこの世に存在しないとするならば「嗚呼、今日は無性にラーメンが食べたい…」との思念は発生するはずもない。つまりはそういうことなのだ。きっと提供するほうが、悪いのである。

本日の昼食は会社より徒歩にして5分の場所にある魚料理店であった。威勢の良い店員に喫煙席か禁煙席かを店頭で問われ(これは2006年の話だ)、禁煙席を希望するも満席であった。それなりに人気店なのである。喫煙席でも構わない、と応じると階下のフロアの小さな席に通された。隣席には年の頃50~60と思しき壮年男性の3人連れ、

中ジョッキ頂いてます。

いや、それ自体は特に珍しいこととは言えない。むしろ日常的な光景と呼ぶべきかもしれない。私は席に座るなり店員に鮭イクラ丼を注文した。800円であった。私はイクラが大好物なのである。久住昌之原作・谷口ジロー作画の漫画作品に「孤独のグルメ」という名作があるが、ひとりの食事というのはなかなか悪いものではない。作中に、主人公である井之頭五郎がこんな言葉を発するシーンがある。“モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で
なんというか 救われてなきゃダメなんだ 独りで静かで豊かで…”

「スイマセーン、お銚子2本、熱燗でネー」

隣席の3人からであった。キレイに空いた中ジョッキが3つ並んで鎮座している。彼らはビールから、次の段階へと進もうとしているのだ。いったい、3人ともスーツ姿であって仕事中にしか見えないのだが、そんなことは無いのだろうか。「ちょっとお時間いただきますが…」店員が言う。

「構わない!」

3人のうちの一人がやけに毅然とした口調で言い切った。構わないんだ、と私は思った。ほどなくして鮭イクラ丼がうやうやしく運ばれてきた。この店の丼は、内容量に対してやけに大きな器が特徴的なのである。傍から見るとおそらくよほどの大喰らいに見えるのであろうが、飯は丼の中央にささやかに盛られていて、それほどの量ではない。

隣席に食事の膳が3つ、届いた。同時にお銚子が2本。3人は昼からちょいと一杯の至福に浸っている。徐々に声が大きくなっているのだが、本人たちは気づいていないだろう。ふと隣席の膳を見ると、丼のほかに肉じゃがの小鉢が添えられてある。200円で追加できますとある。なるほど、そういう楽しみ方もあろう。

私は徐々に大きさを増してゆくトリオ・ロス・オッサンズの声を聴きながら、ゆっくりと食事を終えてお茶を飲んだ。また来よう。今度来た時は肉じゃがをつけてみよう。そんなことを思いながら席を立ち、勘定へと向かった。すると背後からかぶさるように、大きな声が聞こえてきた。

「スイマセーン、お銚子もう2本追加ネッ」

午後1時。昼日中にして春の宵。彼らの行方は誰も知らない。

やぶさかではありません!