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ない言葉。

まず、自分の理解の「深度」を人に伝えることは難しい。書くのと話すのとではずいぶん違うし、特に話し方や端折り方によっては、重要な話題ほど軽く見えてしまう。

話は、話そのものよりもトーンとか言い方、間合いみたいなものがすごくポイントになってきて、それによって伝わり方がまったく変わってしまう。

普段あまり喋らない人がポツリと低いトーンで話すと、やけに重い言葉に聞こえるし、それは説得力をもって聞こえるかもしれないけど、それはそう聞こえるというトーンがあるというだけで、イコール説得力ではないだろうと思う。相手の気持ちを掴めるかどうかで言えばね。

身もふたもないことを言えば、効果的なことを言うとか、説得力のある話をするというテクニックの前に、「なんか、好かれている」というフワッとした領域の要素がやたら重要な気がしている。

逆に言えば「なんか嫌い」という人の話は、軽かろうが重かろうがあまり入ってこないし聞きたいと思わないということだ。例外もあるかもしれないが、それは嫌悪感を凌駕する何かでカバーしているケースで、それはハードルが高かろうと思う。

極端な評価主義の人は近寄りたくないし、それでも人は人を評価するものなのでそこに気をつけないと損をするよ、というのは現実的な対処のために必要な認識だと思うけど、その評価主義を云々することも含めて「評価という通貨の流通する世界」にいたくないというのが本音に近い。

でも現実に評価はある。

「こんな風にこの話をしたらやけに軽く見えてしまうな」という意識を先回りして、話さないようにするとか、そういうある種の表層面のケアに気を払うのはどうなんだろう、みたいなことね。いや最低限必要なんだけど、そこで牽制し合うのが人間関係上の勝負どころ、みたいなのがなんか嫌なんよね。

他人が自分の話にどれくらい共感してくれたかということじゃなくて、思うことを言い続ける方が姿勢として健全ではないかと思うし、じゃあ健全とは何かという話でもある。

健全さというものを紐解くと、「(誰もが欲しがる)他人の評価に振り回されずに済むように、あくまで主体性のボールを自分の手から離さない姿勢で生きる」みたいなことではないか。

欲得の世界は欲得によって一喜一憂することになるし、それは基準を自分自身から離しすぎる状態になるので良くない。

人に話を聞いて欲しい、共感してもらえると嬉しい、というのはもう人間としてのデフォなので、そこは否定できない。

矛盾のはざまに落とし所をそれぞれ見つけて生きるのが人。

話してる内容の正誤性や正当性よりも、まずその人との関係がどうかによって、話の伝わり方ってすごい変わるし、なんなら言わずとも意図が伝わる。ノンバーバルというよりももっと強い、親和性の持つ力。

関係ができてないうちに言葉で言ってもダメだなあと思うのね。

書籍を読んでその言葉や論がスッと入ってくるかどうかは、その書籍を「主体的に」手に取った時点で、読み手側に「話を受け入れる態勢」がある程度あるわけだよね。評判とかの前情報が一番強いが、本のルックだったり著者のネームバリューだったり、もちろんタイトルだったりがある程度規定する。

こないだ、重いはずの話題をサッと端折って話したことで、妙に軽い受け取られ方をした感触があり、それが引っかかっていた。今日書いた思考のあれこれはその件から始まってる。あ、なんかこの伝わり方は嫌な感じだな、と不本意に思ったのだった。

そう思う自分の気持ちって何だろうと思った時、おそらく「嫌われたくない」とか「軽く見られたくない」みたいなものがあったんだろうと感じたよね。すごく卑小で普遍的なアレとして。

あるじゃないですか、距離感が詰められてないのにいきなり告白しても99パーセントフラれる、みたいなことが。それって結構普遍的にあることで、言葉は最後だし、実はほんの一部で、言葉によってわかられるのは自分がどういう人間かってことぐらいじゃないか。

それすら言葉は行動に負ける、後塵を拝すわけですけども。

でも、相手の気持ちを追ってもダメで、追う人はどうしても魅力的になれないのね。相手をよく見るのは大事だけど、関係すべて追うとダメですね。

求めるってことは少なくとも得られてない状態なので、求める限り苦しむよね。でも求めることは尊いし、それは実は幸せな状態でしょ。

すべてセットだと思うと合点がいく。求めて、得られないから嫌いになったり。それは自尊心を守る為だけど、そういうのも求めてこそで、求めることは尊い。

みたいな話って、さすがに口頭ではできない…Twitterでないと出てこない話だ。

概念的なことって人に話すことじゃない。聞く側にとっては、そんな出口のない話を聞かされても「なんでそれを自分に話すのか?」ってなるし、なにしろ青い話に聞こえてしまって、良いことは何もないように思う。会話は「なぜその人に言うのか」というのが入ってくるからね。

誰宛てでもないからこそ言えることってある。



やぶさかではありません!