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自分についてのQ&A その8 自分の声について思うこと他

自分の声について思うこと
いわゆる「通らない声」で、一貫して好きじゃない。賑やかな場所で大声を出そうとすればするほど声がくぐもって届かなくなる気がする。話すこと自体があまり好きではないのかなと思うことが増えてきた。でも人の印象において声は重要なのはよくわかっている。だから珍しく声を褒められるとかなり嬉しい。


歴史について思うこと

ストーリー化された現実。身も蓋もなく残酷。歴史が繰り返されるのは、同じ人間として同じ性質を持っているからで、学びは関係ないのかもしれない、とも思う。


「私」について

ひとりの「私」を認識するためには他者性が欠かせない。その自分の中の他者が厳しすぎると生きていくのがつらくなる。前に、僕は自分の人生の真ん中にいないなと思ったことがある。通常ならば人生は自分のものなのだから自分が主役として真ん中にいるものだが、僕はどこか脇によけていると。でもそれは多分違っていて、そう思う自分自身がすでにど真ん中にいるのだろう、と今は思う。


自殺したいと思ったことがあるか

結構ある。でもしなかったのでこうして生きてる。思ったというだけならもっとも最近は30代半ば、結婚したかする前かの頃に、仕事が忙しすぎて本当につらく、自転車通勤の朝(当時は1時間くらいかけて自転車で通っていた)、天現寺橋交差点にこのまま突っ込もうと衝動的に思ったがやめた。


占いを信じるか

楽しく読んだりはするし、当たっていると思ったり、その洞察の深さに感じ入ったりはするけれど、占いを「信じているか」と言われると、信じてはいないだろうと思う。信じていたらもっと占いに沿って、それを頼りに生きるだろう。


母性的なるものへの欲求は?

どうだろうね、あまりないと思っているんだけど。ところで話変わるけど、男性の性的な欲求というのは、女性の部位的(胸とかね)なことを考えると赤ん坊のそれに近く、なんだか不思議なものだなあと思う。


真実のイメージ

現実において常に隠されている。だから真実は真実であるということで価値がある。


芸術は金で買えるか

芸術家はパトロンがいないと…


あなたはエゴイストですか

エゴイストっていうと悪人みたいだけど、エゴに沿って生きるというのは実は大切なこと。なかなかそんな風には生きられない。そもそも自分のしたいことがわかっている人がそんなにいるかというと怪しい。もっとエゴイストにならないと甲斐がない、くらいに思う。それとは別に、他人に迷惑をかけることを厭わない人、みたいな意味ならそうはなりたくないですね。


あなたは破壊的?それとも建設的?

上のエゴイスト云々が程度問題とするなら、これも程度問題。どっちでもないというのが素直な感想。破壊も建設も、強烈な現状へのダメ出しが必要という意味では似てる。僕はそこまでエゴを押し出せない。という意味で、上の質問とこれは兄弟みたいな感じ。そんなところ。

やぶさかではありません!