あのとき、心理的安全性を生むにはどうしたら良かったのか?
ここ何日かで「心理的安全性」って言葉について、ものすごく考えています。
自分のこと、友人のこと、現在のこと、過去のこと。いろいろなサンプルを考えてみると、少しだけ、心理的安全性って子を理解できそうな気がして、つらつらと気づきを書いてみることにしました。
根本的に、心理的安全性の担保って、すごくすごく難しいです。日本人だから、なんて主語を拡大するとあまりに飛躍しすぎるけれど、実際日本人にはどうしても上下関係が生まれやすい。その上下関係は、そのまま発言力の強さにもなりますし(