王陽明先生の手紙5


「諸用明(妻の弟) に宛てた手紙」

正徳六(1511)年辛未 40歳

王陽明先生は、40歳ですでに職を辞して学問に専心修業する強い気持ちを持っておられた。37歳の時の竜場大悟が余りにも有名だが、ご本人は、そこがゴールであるとは考えていなかったことが分かる。歴史的には、57歳で亡くなられるまで、官職を辞することは許されなかった。それどころか、晩年になるほど反乱鎮定のための将軍に任ぜられてむしろ、その職務、職域は激しさを増した。しかも、先生の学問求道の志は、衰えるどころか、より深さを増して『致良知』に至る。『致良知』を自らの学問の完成と考えていたと思われる。簡単だが、難しい。そのためか、中国では陽明学の副作用が強く出て、日本ではそれがほとんど無かったと言われる。

《参考》
◯王陽明の「教の三変」
(正徳三(1508)年 37歳 竜場大悟)
 正徳四(1509)年 38歳 「知行合一」
 正徳八(1513)年 42歳 「静坐養神」
 正徳十六(1521)年 50歳『致良知』

諸用明に寄せる

頂いた手紙から、近ごろ学力の増していることがよく分かり、とても嬉しく思います。君子たるものは、ただ学業を修めることに心を用いるべきで、官吏の登用試験に合格するのが早いとか遅いとかを問題にすべきではありません。私が君に望むのも、これ以上に大切なことはありません。果たして、この根本を把握しているのかどうか、次の手紙ではそこのところを識らせて下さい。階陽に住む君の親戚の少年たちも、去年皆試験を受けたと聞きました。年若くして志のあることは、素晴らしいことです。けれども、私の考えとしては、彼らが目標としていることは、違うと思う。不幸にして試験に受かるようなことがあれば、きっと人生の道を誤るであろう。

すべての若い者たちにおいては、先ずその美質を『晦養厚積(かいようこうし)』(内面の善なる徳質を深く養う)させるべきである。天の道も集まらなければ、発することが出来ないという。まして、人間においてはそうであろう。花のたくさん咲く樹には実がならない。外に発して内の蓄えがないからである。君たちも、私の言葉を迂遠だと思わず、内に学業修徳に努めれば、必ず進歩するところがあるだろう。

また、私に官職に留まるように勧められるが、私が職を退こうと思うのは、我が身を以て高潔を気取ろうとする訳ではありません。何とか官職を退うとするのは、時勢の世を遁れるべきということばかりではなく、私の学業が未だ十分ではなく、「歳月を待たない」からです。もし再び数年を過ぎれば、精神気力の衰えが進み、学業修徳に努めようとしても、出来なくなってしまいます。そうしたならば、まさに学業の完成を果たすことのないまま、人生を終えてしまうことになりかねません。私としてはどうしてもゆるがせに出来ないことなのです。ただ、老父をはじめ、誰もよろこばない。皆反対である。今、こうした反対の声を押し切って決然として自分の意思を貫いたものかどうか、むなしく浩嘆(嘆息)するばかりである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?