王陽明先生の手紙4


翰林院学士汪石潭内翰に答える
辛未 正徳六(1511)年 四十歳

 厳しいご意見を頂きましたが、ここ数日ひどい腫れ物に悩まされ、手紙を書くことも叶わず、更なる教えを請うこともできずにおりました。
お手紙の中で「昨日論じた所はすなわちこれ大きな一つの疑問点である」また「この事は、影響が大きいと思われるので、敢えて言わない訳にはいかない」と。私の意見もまた全く同様です。この点を以ってしても、適当に、いい加減にしておく訳にはいかないのです。

 喜怒哀楽は(感)情であり、これを「未発」とすることは出来ないと貴方はおっしゃる。しかしながら、「喜怒哀楽の未発」とは、すなわちその(喜怒哀楽の)本体を指していうものであり、これは「性(人間性の本質)」のことである。この言葉は『中庸』を著した子思のもので、二程子(程明道・伊川)が言い始めたものではありません。執事どのがそれをもってしてもご納得がいかないのであれば、まさに子思の『中庸』より始めるより他ありません。

 喜怒哀楽と思考と知覚とは、皆、心の発現の方面を指したものであります。心は人の本質と意識や感情とを統一するものです。人の本質とは心の体(本体的なもの)であり、意識や、感情は、心の用(働きや作用)であります。程子の言うところの「心は本来一つである。けれども、体(本体)を指して言うことあり、『寂然不動』とはこれである。用(働きや作用)を指して言うことあり、『感而遂通(感じて遂に通ず)』というのはこのことである」この言葉には、言い尽くしていてこれ以上付け加えることはありません。執事どの、しばらくこの議論を「心の体用の説」に求めてはどうでありましょうか?

 心の体と用とは、本来一つの源を有するものです。「体」は結局「用」であることを知れば、すなわち「用」もまた「体」であることを知ることが出来るのであります。けれども、心の本体(体)は「微」かなので、知覚することが難しく、心の働き(用)は、「顕」らかで知覚しやすいものです。執事どのの言うことも尤もです。

夜明けから日没まで、寂然としてとどまる時間というものはない、と言うのは、これはその「用」の面だけを見て、「体」を得ていないものである。君子の学問工夫においては、「用」によって「体」を求むるものであると言えます。程子のいわゆる「既に思ふはすなはちこれ已発にして、すでに知覚あるはすなはちこれ動」とは、すべてこれ「中を喜怒哀楽の未発の時に求むる」(已発と未発とを分けて考える)ものたちに対する警句としての言葉である。未発が無いと言っているのではありません。

朱子もまた未発の説において、その始めにやはりこの点に疑問を抱いていました。今遺されている「朱子文集」の中で、張南軒と議論、分析したものは、往復数十通を重ねてようやく結論に至りました。今の「中庸注疏」がそれです。それについて今ここで論ずるつもりはありません。ただ「戒懼よりしてこれを約し、以て至静の中に至る」というのと「謹独よりしてこれを精にし、以て物に応ずる処に至る」という部分は、(本来一つのものを)分解し過ぎていると言わざるを得ません。後世これを読んだものは皆、未発と已発とを別のものと考え、寂然として動かず、静にして存養する時が別に存在するかのように誤解をしてしまいました。そのため、常日頃「戒慎恐懼の心」を持てば、その工夫は未だかつてはじめから一瞬も間断することはなく、必ずしも「睹(み)ず聞かず云々」の時を得て存養するものでは無いと言うことを知らないのです。

 君子たるものの議論は、もし今までの説と異なるものがあれば、すぐに否定をしない方が宜しいのではないでしょうか。しばらく古い説にしたがってそれを究める努力をすべきです。その説を極めて、それでも充分でないと判断したならば、改めてそれを否定するのがよろしいでしょう。そのようにしていけば、その論弁は明確となり、分析も当を得たものになるはずです。かくいう私もこれまでそのようにしてきたつもりです。今、学問工夫において、あなたのように聡明超特、深潜縝密なる者が、未だ十分に究める努力をしないのは何故なのでしょうか?あなた本心は、世間の所謂異説を立てて自分を良く見せようとする輩とは違うと思います。ただ、真実、真理を求めているだけだと思います。ですから、敢えて憚りなくこうしたことを申し上げるのです。

未だ十分に伝えきれていないように思います。どうか、遠慮なくお教え下さい。あなたにはさして有益では無いかもせれませんが、私にとつては、大変有益なものとなるはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?