王陽明先生の手紙11-3

最近私は、朋友門人たちと学を論ずるに、惟だ『立誠(まこと)』の二文字だけを説く。たとえば、人を殺そうとするならば、喉を掻き切るのが最も有効である。同様に、我ら聖学を為(おさ)めるには、心の真髄の微なるところにおいて力を用いるべきである。そうした功夫を続けていけば、自然と心の誠が充実(篤実光輝)し、私欲が起こりそうになっても、炉の前の雪のようなもので、これを『天下の大本(まこと)』(中庸)を立つるというのである。もし、この工夫に努めず、枝葉末節に就いて上辺だけのものであったなら、凡そ普段の学問思弁は、まさに傲慢を増長し、非を遂げるための助けとなるに過ぎなくなる。自分では高明光大に進んでいるつもりでも、知らず知らずに心がねじ曲がっていくのも気付かない。これはまた誠に哀れむべきことである。

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