宗教について

〜宗教合宿に2週間軟禁される話をする前に〜

<前提となる私の立ち位置>

前提として,私はズボラな仏教徒であり無神論者に近い。目に見えない物を目に見えない事を根拠に全否定する事は浅慮だと思っているのと,何でもそうだが物事には長短があるので一概に全否定するつもりもない。法律がそうなっている以上,信仰の自由は尊重されるべきだとは思うし,根拠なく安易に否定するのは異質排除の差別と紙一重だと思っている。

統一教会ネタで言及すれば個別の詐欺行為など犯罪案件はぜひ罰せられるべきだ。しかしオウムの様に組織的犯罪が立証されない限り「怪しい」だけで教団の存在を駆逐する法律はないのと(前科のあるオウムでさえ名前を変えて存続している)経典3000万円やっべーなという個人的な負の感情を持ち合わせているが,それを表出して同調を求めて群れ,法的根拠なしに攻撃に転じるのは好きではない。個別案件を立件して裁き,更にそれが組織的犯罪なのであれば立証し,全宗教法人の取り扱いを再考する必要があるのだろう。
また政治と宗教について今更叫んでいる人々は,政治界に蔓延る闇の陰謀どころか堂々と政教分離原則に反している公明党の存在は見えなかったのかと今更感が拭えないので従来からその論点を批判し続けていた人以外の意見は傾聴し辛いのが本音。

個人的には,宗教への課金をする人も
博打への課金をする人も
ゲーム依存で課金をする人も,
「希望」や「居場所」を買う点で同じに見えているので,人間の脆弱さと国の規制,すなわち自由剥奪のバランスの問題だろうなと思っている。
立証できる犯罪事件以外で「自分は何の自由も剥奪されたくないが,あいつは怪しいから自由を剥奪してくれ」は無理な話なのだ。後者を強いるならば前者に耐えねばならない。

宗教を全否定する意図はない。
人間が立証できる事実が全ての科学
目に見えない世界が全ての宗教
人間心理と行動を見つめ言語化する哲学

実は優劣なくどれを信じるかなのだと思う。
信じたいものを信じれば良いと思うし,実はそれぞれに必要な場面があるのだと思う。

個人的には宗教への全任は他力本願な思考停止に見える所もあるし,反面それ故に出せる驚異的な利他的行動の存在も知っている。これが前提となる私の立ち位置。

そんな私がする宗教の話は,今巷でブームの「宗教の恐怖体験」の話というよりも,こっそり近所で見た信者観察から見た宗教という観点での話になると思う。
とりあえず「よくわかんねー宗教やっべーな!」を皆で言いたい人には面白くないと思う。


→山奥にある新興宗教の20日間合宿に軟禁される話[1]に続く


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