【 発達キッズを私立小に通わせるという事 】

とかく高IQ児は居場所がない。支援級9年固定移動なし=高校選択肢が狭まるという我が地域では公立に息子の居場所はなかった。進路が狭まる事を説明した上で公立か私立かの進路選択から本人が私立を選んだので進学させたのだけれど,当然私立小は発達歓迎ではない。適切な認知力と非認知力に運動力など年齢と見合ったバランスの良い発達力を問われる入試はまさに”発達キッズふるい落とし検査”になっている。なぜなら

発達キッズは画一的な集団教育での指導自体が難しいし,合理的配慮が努力義務の範疇である私立小においてトラブル時の対応が困難だから。

「合理的配慮が義務ではない」事の意味は大きく,私立小のルールに沿わない子供は退学させる事が出来るという事。だから細かいルールを守るのが苦手な発達キッズとしては”居ても良い”という立場よりも低い,”居させて頂く”という感覚は恐らく忘れてはいけない。その覚悟を持って入学した。だからこちらから先生に特別支援を求める事もしていない。

学校側としては我が家が周知をすれば楽だろう事は知っている。「障害者」というレッテルをクラスや父兄に周知する事で他の保護者からの息子・私たち両親・そして学校への直接攻撃は防げる。差別心は防げないが「障害者を入学させるな」と言う攻撃行動をする親もいるだろうが差別禁止法で躱せるという判断なのだろう。去年の担任から周知を言われたのはそういう事なのだろうとは思う。


でも周知はしない。
まずは,選択能力のある息子であり,息子の人生であり,息子が選んだ学校で息子が選んだコミュニティにおいて息子の許可なく息子の超個人情報を周知する事は息子にとって侵害の可能性があるから。
更には”息子が持つ特性は障害ではなくただの人種の違いである”の一石でもあるし矜持に近いものがある。これはこの先の息子が定型社会で人生を送る上で息子にも持ってもらいたい矜持だからこそ、ここに固執している。


息子は何かが欠けて可哀想な人間ではない。

定型社会の「障害」の概念はそれだから,息子が定型社会で定型として生きる事を望む限りそこには迎合しない。
でも現実は,その矜持と引き換えに支払わなければならない事がある。

今回の我が家のトラブル自体がまさに好例で,”居させて頂く立場”である私たち両親が,学校を敵に回さぬよう学校の希望に沿って如何なる理不尽にも平服する一択であったのが,私立小でのマイノリティの身の置き方でありあるのだと思う。
ある意味定型社会の縮図にさえ思えて非常に悔しいがこれが現実なのだと思う。


私立小に通学させる事は

・障害者レッテルを免罪符に許しを請うか

・矜持を守る為に理不尽に平伏し続けるか

いずれにしろ退学の可能性は0にはならない。


息子が私立通学を望むのならば仕方ない。今回の平伏も当然と言えば当然なのだろうと思う。マイノリティを目の当たりに実感して,なんて社会だと思うけれど,とりあえず適応していくしかないのだろう。


私の場合は,こう感じた。


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