山奥にある新興宗教の20日間合宿に軟禁された話[3]
<信者と死に場所>
彼女とは食堂で会って雑談をする様になったと思う。
その女性は30代位で長い黒髪ストレートのウィッグが印象的な小柄な女性だった。竹を割った様な溌剌とした性格の彼女は,タバコを咥えながらガハハと笑って言った。
「私,末期癌で緩和ケア病棟を出て来たのよ。
ここで死のうと思って。」
19歳の私はまだ死に直面をした人と話した事がなくて度肝を抜かれた。何と声を掛ければ良いのか解らずにいたら彼女が言った。
「もう治療も出来ないから助からない,
でももう良いのよ~!ww」
「じゃあちょっとパチンコ行って飲みに行って来るわ、
またね!」
そう言って,携帯でタクシーを施設の玄関まで呼びつけて遊びに出て行った。
たまに咳き込む時の肺の音が何とも空虚な空気が漏れたような音で,死は遠くないのかも知れないと感じた。19歳の私には悲壮感はないように見えた。私が19歳だからそう見せてくれたのかも知れないけれど。一人暮らしだと言っていた女性。この宗教施設を人生最後の死に場所に選んだらしかった。そしてそれは彼女にとって良い選択だという自信が感じられた。こんな人生もあるのだなと思った。
<脱出>
末期癌の女性が施設から自由に出入りして遊びに出ているのを見てから,私は脱走を企てていた。
実母に何度も電話をして,如何に恐怖の日々を過ごしているかを話したが響かない。事務所に何度も呼び出されて信者の長に長い説得をされる。派手に逃げたらすぐに実母に連絡が行き連れ戻されるのではないかと思ったので,こっそり逃げる事にした。
毎日滞在名簿を照合したような点呼があるわけではないし基本的に自由行動。私はずっと朝の合同礼拝も不参加だし常に逃げ回っていた私なので,私がどこにいるのか誰にも解らない筈。同室の人には普通に帰ると言っていれば捜索はされないだろう。普通に20日間宗教合宿に滞在している体で,友達の家に逃げようと思った。
施設に入所してから2週間経った夜,相談していた親友に最寄駅まで来て貰い,脱出する事にした。
9時か10時の消灯後,まだ終電はある時間だった。末期癌の女性から教えて貰っていたタクシーに電話を掛ける。建物と門までの距離は長く電灯もない森林の暗闇で,徒歩では10分くらいの坂道だと思う。本当はタクシーには玄関まで来て欲しいが目立つので門の外で待っていて貰う事にした。
消灯後で暗い施設の中,大きな荷物を抱えながらうっすらと電気が漏れる事務所の小窓の下をハイハイをして通る。施錠されたガラスの扉の内鍵を開け静かに出てから,私は門の外に向かって走り出した。灯もない暗闇の森林の中を全速力で坂道を走り抜ける。隔絶された歪な世界から一般社会に戻れる唯一の道。自分の高鳴る心音と響く足音と荒い息だけが聞こえる全ての音だった。門をくぐり抜けタクシーに辿り着いた時の開放感は忘れない。
「逃げれた!私は自由だ!!社会に戻れた!!」
結局,どこからどうバレたのか実母に連絡が行き、敢えなく保証人契約は反故にされ私の2週間の宗教合宿の体験は終わった。
人間の剥き出しにされた脆さをここまで目の当たりにした経験はこれが最初で最後だった。
<宗教>
宗教というものを捉える時
宗教を信じること自体が,大海で溺れる際の浮き輪の様な
まさに蜘蛛の糸の様な存在になっている人は少なからずいる。
また死という未知の現実を避けられ無くなった時
寄り添える一つなのだとも思う。
宗教を全否定する意図はない。
人間が立証できる事実が全ての科学
目に見えない世界が全ての宗教
人間心理と行動を見つめ言語化する哲学
実はどれも似ているし,どれを信じるかなのだと思う。
また
宗教への課金をする人も
博打への課金をする人も
ゲーム依存で課金をする人も,
「希望」や「居場所」を買う点で同じなのだろう。
個人的には宗教への全任は他力本願な思考停止に見える所もあるし,反面それ故に出せる驚異的な利他的行動の存在も知っている。
何を信じるのか,それぞれ多様であって良いと思う。
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