見出し画像

父の背中

毎月、というわけにはいかなかったけど、仙台から常磐線スーパーひたちに乗っていわき平競輪場に行くのが一番の楽しみだった時期があった。

あれは何年前だろう。
いつもの7時ちょっと過ぎのスーパーひたちでいわきへ向かった。

少し早めに帰らなくてはならなかった俺は、本命にした北日本勢の敗北を見届けて、急いでタクシーに乗りいわき駅へ向かった。

その時、「いわき平競輪場選手宿舎○○様可能な方お願いしまーす」という無線の声が聞こえてきた。
俺は電車の時間が気になってちゃんと聞いていなかったのだが、運転手が話かけてきた。
「お客さん、○○って何着でした?」
「いや何着かは分からないけど、7着より下だと思いますよ」
「ああ、俺好きなんですけどねぇ○○。最近体調悪いのかな。最終日前にお帰りですね」

駅のホームに仙台行の電車が到着すると、大きなカバンを持った男がひとつ後ろの車両に乗ろうとしていた。
それは○○だった。
でも、いわきの帰りはいつもそうなのだが、朝早く出てくるせいか眠気を我慢できず、○○のことは忘れ、終点までずっと寝たままだった。

その夜、市内のレストランに行った。
食事も終わり、さあ帰ろうと立ち上がったら、となりに○○とその家族がいてとても驚いた。
小さな子供二人が父に甘えて楽しそうだった。
俺も好きな選手だったけど、声をかけるのもどうかと思い、そのまま店を後にした。
父の急な休みに子供たちも喜んでいるような雰囲気だった。

その時、なぜか自分の子供の頃を思い出した。
経済的なこともあったと思うが、肉体労働をしていた父は毎日疲れて外食に行くのを嫌っていた。
ところが夏休みのある日、急に仕事が休みになったのでみんなで昼ご飯を食べに行くことになった。
いまだにそのことは覚えているのだけれど、家に帰った後、何度も電話で謝っている父の背中があった。
俺は外食をとても喜んだけれど、父にとっては思い出したくもない日だったのだろう。
競輪場で「やめちまえ!」のような野次を聞くと怒りがこみ上げてくるのは○○の姿を見たからかも知れない。

震災で仙台発いわき行のスーパーひたちはなくなってしまった。
だけど、競輪場のある街、競輪好きのタクシー運転手がいる街いわきに電車で行ける日がやってくることをずっと信じている。

【from Gamboo(2014)コラム】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?