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【エアバスA220機来日記念】ラトビア国営LCCのエア・バルティック(前編)

日本ではほぼ知られていない、ラトビア国営LCC(格安航空会社)のエア・バルティック(Air Baltic)。

筆者は恐らく、日本人で最もこの航空会社を利用した数少ない1人の可能性が高く、今回、エアバス社のデモンストレーション用機材として、エア・バルティックのエアバスA220-300が来日を果たしたついでにこの航空会社についてちょっとだけ触れてみたいと思う。

エア・バルティックの歴史は古く、創業は1995年8月に遡る。

東西冷戦が終結し、巨悪たるソヴィエト連邦が崩壊した後、独立回復を果たしたラトビアには外資の進出が相次いだ。エア・バルティックもまた、スカンジナヴィア三国の共同出資で運航されるスカンジナヴィア航空(SAS)との共同事業としてスタートした。初の定期便は、Saab 340型機によるものだったとされる。

その後、2003年にはより大型のボーイングB737-500型機が導入され、リトアニアの首都ヴィリニュス発の便を含む、実に5カ所へ路線拡大した。リーマンショック直後の2009年1月には、SASが保有するエア・バルティック株を全量売却し、資本上の提携は無くなったが、2022年現在もSASとのコードシェア便や各国空港でのラウンジ共同利用などは続いている。

エア・バルティックのボーイングB737-500型機。2016年夏、リガ国際空港にて筆者が撮影。
B737-500機内。2016年当時、エア・バルティックの基幹路線であるリガ―ロンドン線やリガ―コペンハーゲン線などに投入されており、実質的な主力機材だった。他の格安航空会社のB737と違い、座席がやや大きめで快適だった。
エア・バルティックのB737-500型機。2019年10月、ロンドン・ガトウィック空港にて撮影。
2016年時と違い、燃料消費量を下げるためのウィングレットが翼端に装着されているが、この年(2019年)を以て、新型機エアバスA220の導入に伴い全機退役した。

リーマンショック直後の世界的不況の中でも、エア・バルティックは成長を続け、2010年には現ハブ空港のリガ国際空港に続き、フィンランドのタンペレ国際空港を第二のハブ空港として使う計画を打ち出した。

タンペレ国際空港には2010年以前、アイルランドの格安航空会社ライアンエアーが進出しており、タンペレ―リガ線やタンペレ―ロンドン・スタンステッド線などを運行していた。同社はタンペレから実に13の路線を運行し、最盛期にはタンペレ空港の年間利用旅客者数は70万人に達したが、同社のタンペレでの運航縮小後(2022年現在ではロンドン・スタンステッド線のみ存続)に同地へ「穴埋め」的に進出したのがエア・バルティックだった。そして、エア・バルティックによるタンペレ国際空港のハブ化計画は2010年の段階では一度頓挫したが、2022年5月より復活し、実際にリガに次ぐハブ空港化が実現している。

往時のリガ国際空港。2017年6月撮影。当時はエア・バルティックの主力であるB737-300/500とDHC-8-400(プロペラ機)の2つがリガ空港でよく見られた。
2010年代のエア・バルティックのもう1つの主力機材、ボンバルディアDHC-8-Q400。2016年春、トゥルク空港にて撮影。ロンドンやコペンハーゲンなどの大空港以外の中小規模の空港へはこの機材が主に就航していた。
DHC-8-Q400のエンジンはP&W CanadaのPW100という、ターボプロップエンジンで、筆者はなぜかエンジン真横の席にアサインされる事が多かったが、離着陸時の轟音たるさ凄まじいものだった。
DHC-8-Q400の「安全のしおり」。
DHC-8-Q400は2010年代も後半になってくると、機内の痛みが激しく、前の乗客がリクライニングしたまま戻らない座席もあった。

また、機材自体も傷んでおり、2019年秋のロンドン出張では一度、リガ空港から飛び立ったDHC機が気づいたらリガへ戻っていた事があり(「機内での異臭騒ぎ」とされたが実際にはエンジントラブルだったらしい)、エア・バルティック社自身も新型機A220の導入を心待ちにしていた。


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