見出し画像

コンプレックスの塊

「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」をみた。

吃音で人前で話せない女の子とミュージシャンを目指す音痴の女の子の2人。
自分ではどうしようもないコンプレックスを抱える2人は学校でクラスになじめない。高校という社会で発言ができなかったり、音痴であることはとても生活しづらい。授業で先生に指名されたり、音楽の授業で歌うことがあったり。そんな2人が人間関係に悩み、音楽を通して何かを得ていくというストーリーだった。

どの分野や社会にも1人や2人どうすることもできないコンプレックスを抱える人はいる。音痴や運動音痴、もっと言うと顔にコンプレックスがあるという人もいる。だから、人前で歌わないし運動もしない、マスクをずっと付けている。人に見られると笑われ、蔑まれると思っているから。だから心を閉じ、人と関わらず生きていく方法を模索する。

でも変えてやる!と思う時がある。進学や転校などで環境が変わる時だ。そこには心を閉じた自分を知っている人がいないから。そこで音痴はバレないように友達を作る!と決意する。でも、何年も閉じ続けた心のドアはそんなきっかけで開くわけもない。だって、どうせ馬鹿にされると思い込んでいるから。それほどコンプレックスは頑固で重く、こびりつく。こびりついたもの汚れは取るのに時間がかかる。毎日コツコツ掃除して何日か何ヶ月か何年かをかけて取っていく。それと同じようにコンプレックスを受け入れてくれる人がいて、コツコツと関係を築いてやっとそれを気にせずに関われるようになる。そしてその人のおかげでコンプレックスとの付き合い方を学ぶことができる。それが笑いになること知ったり、実はみんなはそんなに気にしてみてなかったり。

「人間は常に新しい環境の新人です」オードリーの若林さんが言った。
学校や会社、住む街が変わった。その環境の中では新人である。コンプレックスを人に見せるかもしれない。自分のコンプレックスを知る人が一気に増えるかもしれない。抱え続けたら考えまくってまた心を閉ざす。
でも、それと同時に簡単に慣れることができるのも人間。最初は辛くても心を閉じた状態に慣れてしまう。でも、コンプレックスに慣れることもできるということになる。

でも簡単に慣れるよ!って声をかけることもできない。自分の中の負を受け入れるなんてできるわけないから。

みんな何かしらコンプレックスを抱えている。高身長でイケメンでもなにか抱えてるかもしれないし、すんごいかわいい女の子も、円満にみえる夫婦も、幸せそうなカップルも。
塊とどう付き合うのか、それを打ち消す何かと出会えるか。自分は大丈夫という自信、根拠がなくても自信を持つことが成長につながる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?