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僕とピアノのお話

僕はピアノが好きです。大好きです。
ピアノがバンドにいる曲を好きになりやすいですし、クラシックピアノを聴きながら毎日寝ています。

昨今のご時世のこともあり、最近は毎日平均して1-2時間は弾いているんじゃないでしょうか。それぐらい、ただ、ピアノが好きなのです。

まぁそんなこんなで、今日は僕とピアノのお話をしたいと思います。

ピアノとの出会い、そしてピアノ教室

母の仕事の関係でピアノが家にあったので、生まれた時から今の今までピアノが一番身近な楽器でした。初めて自分で弾いたことは覚えていませんが、ピアノ教室に通い出したのは確か幼稚園の年長の頃です。

そのピアノ教室は近所の音楽家の夫婦が個人でやっているところで、猫が6匹ぐらいいました。
6年間通いましたが、内2-3年は中学受験のためおやすみした挙句、通っているでさえも大して練習もせずお茶とお菓子をご馳走になりながら猫ちゃんと戯れる日々でした。

なんと、こんなクソ舐めプレイをしていた為、6年間もピアノ教室に籍を置きながら弾けるようになった曲は、「エリーゼのために」のみです。
(バイエルは確か1冊のみ終えました。)
(コンクールやコンテストに勿論出たことはなく、発表会なるものに2回程度出た記憶しかありません)
(皆がクラシックを弾く中、僕はドラゴンクエストを弾いていました)

これはピアノ経験者からすると本当にありえない話で、早ければエリーゼのためには1年で終えるものですし、当然、今でも楽譜も読めません。
ドレミファソラシドのおたまじゃくしが読めるのみです。

ただ、本当に感謝しているのは、母もピアノの先生も誰も弾くことを強制しなかったこと。(母は凄くちゃんと弾いて欲しそうでしたが)

いつでも好きな曲を弾いて良いし、音楽は楽しむもの。
何より、ピアノは好きで弾くもの。
そして、音楽を嗜むことは人生を豊かにする。
そういう意識を今でも持てているのは彼女らの教えのおかげだと思います。

ピアノ人生の転機

転機は中学1年生です。僕の通っていた中学はキリスト教の学校で、毎朝礼拝がありました。
さて、問題は入学してすぐのオリエンテーションも兼ねた一泊二日の修学旅行で僕が宗教委員になったことです。
勘の良い方はお気づきでしょうが、礼拝には賛美歌がつきもの。
そして、僕たち宗教委員にピアノに触れたことがあるのが僕しかいなかったのです。

まじで絶望で断る気満々でしたが、女子に「お願い」と頼まれたので快く引き受け、それからは毎日2時間程度猛特訓をしました。

ちなみに、何を隠そう中1の僕は、カスでした。
普段からゴミみたいな生活態度で、授業中も弁当のおかずを投げたり、ちんこの写真を待ち受けにしている様な、もうクソガキを煮詰めて、その煮詰めたカスを雑巾で拭いた絞りカスの様な少年でした。

そんなカス虫がまともに賛美歌の伴奏をやりきったので、先生、友人に、もう、それは、もう、めちゃくちゃに褒められました。

そして、転機が訪れたのです。

そう、女子にちやほやされる期間が始まったのです。

ちやほやの味をしめた猿

もうそれは、ちやほやされました。修学旅行中も帰った後も、学級委員長で知り合いの多かった僕は歩いて誰かに出くわす度、「すごいね」「天才じゃん」「見直した」と言われ、もうウハウハで。

旅行が終われば、ただのカス虫だったのでこのちやほやウハウハ期間は2日も持たなかったのですが、僕の頭の中は「モテたい」という4文字でいっぱいでした。

「モテたい」「ウハウハしたい」
「あわよくば彼女が欲しい」「10人ぐらい」

そんなことを考えていた時、「そうだ、音楽の授業や空き教室でピアノ弾けばいいじゃん」「そしたら毎週ちやほやじゃん」ということに気づいた僕は、どんな曲を弾けば良いか毎日考えるようになります。

実際に弾ける曲はほとんどないですし、1曲の賛美歌でさえ1ヶ月毎日2時間かかる訳ですから、そんな弾きたい曲を弾けるはずもなく。

ここで2度目の転機です。
当時、好きだった女の子に「なあ、この曲弾けないの?」と言われてしまったのです。

僕はバカなので「弾けるじょ〜ん」と言ってしまい、あまつさえ次の音楽の授業で弾く約束さえしていまったのです。

地獄の様な猛特訓期間が、再度幕を開けました。
(ちなみにこの時好きな女の子は5人位いました)

ピアノの楽しさを知る

また毎晩の様にピアノを練習して、もうそれは指がちぎれるんじゃないかってぐらい練習して、なんとかカタチにはして、音楽室で弾いた僕はまたちやほやされました。(今思うとパブロフの犬みたいだな)

しかし2度目です。前回より、皆のちやほやボルテージは低かったのです。
ただ何より、その女の子が凄く喜んでくれていたのです。

そして、その女の子から悪魔の様な言葉を囁かれました。
「藤尾って、ピアノ弾いてたらイケメンなのにね」

僕は、ピアニストになろう、と思いました。

そしてまた別の女の子にリクエストを貰い、というのを繰り返し、色んなところで弾いてイキリ散らかして数週間。
ここら辺で、僕のピアノへの捉え方に変化が出てきます。

あれ、ピアノ普通に楽しいじゃん。
ちやほやされなくても、楽しいじゃん。

母のパソコンで普段聴いているJPOPのピアノの動画を観て、かっこいーー!!!って思う。
ワンフレーズだけをどうにかコピーする。
頭の中に思い描いたメロディが、今自分の指によって鍵盤から奏でられる。

この流れが、凄く、気持ち良かったんです。
めちゃくちゃに楽しかったんです。

そして、3度目の転期。
中学全体、沢山の先生と、親御さんも来られる「合唱祭での伴奏」という大役を任せられたのです。

音楽って、クソ楽しいじゃん

もう似た様な展開なのでこの時期の話はハショリますが、何より大きかったのが、音楽を一緒に楽しむ輪というのが強制的に広げられたことだと思います。
これまでは、ちやほやしてくれる女の子達の為に弾いていた僕でしたが、合唱祭はクラス単位でのイベントなので、普段一緒にふざけ散らかす男子とも一緒に音楽をやることになったんですよね。

当時数曲しか弾けないペーペーのクソガキの僕でも、あの時、間違いなく、ちゃんと”音楽”をしていたんだと思います。

誰かからリクエストを貰う。
それを弾いて、一緒に歌う。その流れを楽しみ、交友が深まる。
これが、僕にとっての「音楽」でした。
この「音を楽しむ」という行為をクラス単位で、しかも全員でやるのですから、もう楽しさは10倍。

課題曲に下ネタを織り込みまくり、これまたクソみてぇな替え歌を作って皆で歌って、女子と先生にブチ切れられ、皆で笑って、ということを毎日のようにやって。
真面目な時も、僕が間違えたら曲が止まる訳ですから、やっぱり毎度緊張はしますし、間違えると怒られます。

たから、1曲ちゃんと歌いきれた時は皆で心底嬉しくて。

普段「ピアノ男子とかダセェ」「皆で歌うとかキモい」とか言ってくる男子達の顔も自然とほころんでいて。
女の子達もハイタッチして喜んでいて。
普段無口な子達も、騒いでいる子達も、皆が同じ曲をそれぞれの声を活かした構成で、歌い上げる。表情が豊かになる。
しかも、僕の伴奏で。

指揮者の隣にピアノを置いているので、皆のそういう顔が見れるのです。
これは本当に幸せなことで、「音楽ってすげぇんだなぁ」と心底感じたのを覚えています。

実際合唱祭も無事終えて、友達の親御さんや先輩にもちやほやされ、結局卒業まで伴奏はし続けました。(最後の年は留学で出来ませんでしたが)

こうして
「ピアノは楽しくて気持ちいいものという実感」
「音楽を皆で楽しむという歓び」
「ピアノを弾いたら褒められるという成功体験」
という、「成長」「楽しい」「成功体験」という何かにハマる3種の神器を図らずも手に入れた僕は、ピアノの沼にハマります。

自分の中に論理ができる

それから、ピアノを毎日の様に弾き続けました。

弾いている自分を妄想してウハウハよだれを垂らして、楽譜を買って必死にドレミファソラシドと書き込んで、ちょっとずつ練習して皆に披露してちやほやされて、を繰り返して。

また、仲のいいメンバーと学園祭と高校の卒業式で、バンドをやったりしました。今まではピアノと、たまに歌ぐらいでしたから、バンドというのはとても新鮮で、もうめちゃくちゃ楽しくて。しかも大好きなMr.Childrenの曲でしたから。

色んな楽器で1つの曲をやる。数十人の観客が一緒に歌ってくれたり、歓声をあげてくれたり。ステージから見下ろす皆の顔は本当に生き生きとしていましたし、かっこいい!と言われるとボッキするぐらい嬉しいし、ちやほやを超えてモテましたし、何より普通にめちゃくちゃ楽しかったし。

人を感動させる、心躍らせる、こんなに気持ちいいことがあるんだっていうのも僕の人生を変える大きな出来事でしたね。

そうやってピアノを毎日の様に弾き続けた結果、ある日ひとつの発見があったのです。
あれ、「この曲とこの曲、左手一緒だな」って。

具体例を挙げますと、『カノン』というクラシックの曲と『いつも何度でも』という千と千尋の曲です。”ドソラミファドファソ”という流れが繰り返し使われていて、しかも色んな曲が何とこの左手に使えるという事に気づいてしまった僕は、もう世紀の大発明をしたと震えたのを覚えています。

次の日、めちゃくちゃピアノのうまいMちゃんに嬉々として教えたら、「あーカノンコードね」っと言われて、絶望しました。
なんか100年以上前からある黄金コードと言われる、めちゃくちゃに有名な話だったみたいで。
ただ、俺バカじゃんとか思いながらも「でもこれ自分で見つけたの凄くね?」とも思ったんですよね。

ここで僕は
「そうか、どんな曲にも左手の進行というのにはある程度共通点があるのか」
「どんな曲も結局は音の集まりなのだから、そのパターンを自分の中に貯めれば色んな曲に使えるのか」
という当たり前とも言える事実に気づいたのです。

そうです、”耳コピ”の始まりです。

そして、今日に至る

ここからは加速度的に上手くなりましたね。

今まで弾いてきた曲をコードを意識しながら弾き直したら、JPOのベースの音(ピアノでいう左手)は本当に数パターン位しかなくて。
それを蓄積したらどんな曲にでも転用できて。たまに転用できない、凄いアーティストもいて、それもまた面白くて。

ここらへんで、”調”という概念も覚えます。
最初に”調”という概念に気づいた時は、あれ、同じ曲なのに何か雰囲気違うぞ、位でしたが、どの曲にもその曲の調があり、これは自由に変えれるもの、そして調というのは曲全体が半音上がったり下がったりする訳ですからメロディ自体には一切変化はなくて。

さらに、同時に”和音”も覚えます。
どんな音にも仲良しの音があるんですよね。「ドミソ」とか。(専門用語では”C”と言うんでしたっけ、ちょっと分からない)
つまりメロディの音さえ分かれば、その場でメロディの音と仲良しの音を一緒に抑えるだけで音に厚みと深みが一気に増すんですよね。
(さらには仲良しの音を1つズラすと渋さが出たりもする。和音によって出たり出なかったりするから、また面白い)

この「コード進行」「調」「和音」を覚えた僕はピアノにさらにどハマりして。

そして、狂った様に好きな曲を弾き続け、数年経ち、今日に至ります。

ピアノをやってきて、思うこと

今では大体のJPOPは一度聞いたら3分も経たずとも弾ける様にはなりました。(勿論原曲と些細な違いはありますが)

さて、昨日、instagramで100曲リクエスト貰って毎日弾ききるという企画を終えました。
知っている曲から知らない曲まで、100人の知っている人から知らない人にリクエストを貰い。もう本当に楽しい毎日でした。
皆DMで沢山反応をくれますし、喜んでくれる人はめちゃくちゃ喜んでくれますし。

何より、沢山、新しい繋がりが出来ました。
意外と、仲良い子が7割、普段絡まない子が3割ぐらいで。
言ったら、30人位友達が増えた様なもんなんですよね。
とある子なんか、ずっとピアノを楽しみにしてくれていたみたいで、この企画をきっかけに話す様になり、文通が始まったり。笑(早く返事書かなきゃ)

勿論、好きな曲も沢山増えました。
聴く度リクエストしてくれた子の顔が浮かびます、思い出の曲が沢山増えました。

皆、自分の大切な曲や、ハマっている曲をリクエストしてくれたのでやっぱり精も出ますし、”その人に手紙を書く様に”と意識しながら弾いていました。

大変でしたが、やり終えて、心底思うんですよね。
音楽の力って、すげえな、って。

音楽は、楽しい。
音楽は、人を繋げる。
音楽は、人生を豊かにする。

僕は、音楽の力を信じています。

そして、ピアノに対しても感謝です。

白いグランドピアノは22年間、黒い電子ピアノは5年間。
僕の人生を彩ってくれました。

ピアノも、音楽も。
これまでも、これからも、僕はずっと、君たちに夢中です。

おわり

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