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はじめに

2022年3月30日、コインランドリーでの執筆です。
明日で社会人の1年目が終わるので、今日までの人生の振り返りと、これからについて。
長くなりますが、読んでいる方が何かしら感じ取って、自分の人生と向き合ったり、振り返る機会になればと思います。
そして、何より自分の備忘録として。

空虚な理想に溺れていた

自分の人生を振り返ると、ずっともがいていたなぁと感じます。
そもそもの性格が理想主義者の僕は”やりたいこと”や”ありたい姿”を常に模索しつつ、今やっている事がそこにバチっとハマらないと頑張り切れないという性分でした。

その分ハマった時のエネルギーは途轍もないのですが、常に理想と現実が紐づいていることもなく。
すると頑張れず、頑張っているフリをして、それっぽい事を言いながらのらりくらりとしていた気がします。

高校までは、本当に楽しかったと思います。それは、心から。
部活でやっていたテニスが大好きで、掲げた夢を仲間と追いかけ、友人に恵まれ、日々遊んで、傷つき傷つけられ、沢山学んで、自信に道溢れていました。

要は、目標があり、そして情熱と行動が伴っていたんですね。

そして同志社大学に入学、そしてすぐ4月から営業職で長期インターンを始め、学生団体を立ち上げ、日々社会人と関わりながら毎日挑戦と失敗の日々を過ごし始めます。
当時は自分が最強だと信じて疑わっていなかったと思います。

当時は週7でインターンをして、また毎日どんな時も自分の活動について考えていたものですから、今振り返るとすごい頑張っていたなと思います。
これまた自信と情熱に溢れ、行動力に満ち、側から見れば愚かな子供だったとは思いますが、それでも本当に沢山の経験を積んで、よく学んでいました。

そして、自分のいるコミュニティから一歩踏み出して世界を学べば学ぶ程、知れば知る程、世の中にはスゴイ人たちが沢山いるわけで。
彼らは社会に対して大きいインパクトを与えながら、キラキラ輝いていて。
憧れ、追いかけました。
そして、成長すればする程、感じる彼ら彼女らとの差。
正直なところキラキラ映っている現状に満足もしつつ、でもそんな自分じゃ物足りず。

高校の時には何も感じていなかった、得体の知れない不安。

”何者かになりたい。いや、何者かにならなきゃ。”

そんな問いや不安を持ち始めたのが、1回生の秋の頃です。
ここから今日この頃まで、僕はずっとこの不安に苛まされることになります。

”何者かになりたい”

この得体の知れない不安を持ったことがある人は割といるんじゃないでしょうか。以下、自分なりに言語化してみました。

ぼんやりとした理想を持ち、色々やってみるが続かず、やれない自分に嫌気が差し、正当化だけが上手くなる。
続ける理由も退く理由も一見論理は通っているが、それは自分に小さい嘘を混ぜて無理くり論理を通しているから。

そうしている内に、着実にカレンダーは進み、四季は変わる。
ただそれは、自分の足で日々を乗り越えていくという感覚とはひどく距離がある。
それは高校生の頃に感じていた、夢中だったあの頃に比べたら遠くで光る豆電球ぐらいの存在感しかなくて。

そしてふと周りに目を向けると、時折見かける輝いている奴がいる。
心から楽しそうで、がむしゃらで、泥だらけになりながらもこの瞬間を”生きている”。
そういう人間特有の生命力が眩しくなる。そしてまた日常と自分に嫌気が差す。

結局、やるっきゃない。やると決めたらやる。
分かっている。ただ頭に心と身体が追いつかない。
また、繰り返す。

そんな経験がある人、いるんじゃないでしょうか。

そうして迎えた社会人、2度目の春

そんなこんなで、2回生から最近まで、約4年間。
ずっとどこかにこんな感情があったと思います。

勿論4年間の中で最高に楽しかった時も、夢中になった時もありましたが、サッと総括するとダラダラしてんな〜とは思っちゃいます。

そして、先日、3月7日をもって24歳になりました。
不思議なものですね、子供の頃に憧れた大人の年齢になって、大学生の頃見上げた社会人になって、結局大して変わらんなぁと思います。
ただ歳を取れば自動的に大人になる訳じゃないんですね。
歳を食った子供です。

ずっと子供心は大切にしてたいとは思う。
ただ、大人というのは希望と絶望を良いバランスで持っている人だと思います。

そう、24歳。僕にとって、それは現実を直視するには十分な数字でした。

それでも、ウダウダしつつも頭と心は動かしていましたから、社会人になった1年で沢山のことを学びました。

”生きる上で、何を好み、何を嫌い、何を大切にするのか。
何が自分の心を揺らし、何に心を燃やすのか。
何を強みとし、何が未熟なのか。
何なら譲れないのか。
自分は、どう在りたいのか。”

そういう観点でこの1年間を過ごしてきました。
もう、停滞した自分に終止符を打たなければ。

”あの頃の様に、日常に前進感を感じたい。”

そう思い、最近転職活動を始めました。

そして始めた転職活動

結果は、全落ち。それも、ほぼ全て最終面接で。

環境の力は本当にひしひしと感じていたので、絞りに絞り、心から魅力的だと思った企業のみ受けました。
割と良い評価を頂き、最終面接まで進み、そしてお見送り。

本当に優秀で魅力的な方々からのお言葉は基本的に一緒で、そして痛い程刺さる。自分が目を逸らし続けてきた部分だから。

藤尾さんの”今回こそ”を信じ切るに至れなかった」
「理想主義者で、清濁を呑むことが苦手の様に感じる」

そうだよな、と思いました。
結局、もがいてもがいて、そして自分が本当に胸を張れることってどれくらい今あるのだろう。無いことは無い。でもそれ、最後はいつだろう。

結局自分を過大評価しようが、やれば出来る子だろうが、この社会はそこまで優しく無い。
ポテンシャルで見てくれるのは新卒まで。

「あぁ、自分はもうこういう立ち位置にいるんだなぁ」

夢中でもがいて、そして挫折をした。
そしてやっと、等身大の自分と向き合うことができました。

手元に残ったのは、死にたいくらいの悔しさと、そして晴れやかな気持ちでした。

呪いを解いたのは

”何者かになりたい症候群”とでも言いましょうか。
結局のところ、これって、自分の中の理想と現実の乖離が産んで、自分の未来への希望的観測による怠慢により深刻化するんですよね。

それを解くには本気で自分と向き合い、絶望し、自分の底を知るしかないのです。(本当に解きたいのなら)

とはいえ正直、この4年間が本当に辛かったかと言われると、そうでもなかったんですよね。勿論日々小さい幸せはありましたし、そんな日常を楽しんでいる自分もいました。

でも、この人生を物語に例えた時に、そういう時期があっても良いじゃ無いですか。
無邪気な少年編。理想に溺れた大学生編。新しく踏み出した社会人編。
道が違えば、もっと後になって動き出すのかも知れないし、もしくは日常を愛しのんびり暮らすスローライフな物語のかも知れない。

そのどれもに読者がいて、どれもが素敵だと思う。

結局、当人が、自分の人生がどう在って欲しいのか。
要は、人生にどこまでを求めるかだと思うんですよね。

そうして気づいたのは、この物語を誰に読んで欲しいのか。
自伝として自分の中で大事にしたいのか。
親に読んで誇って欲しいのか。世界に響くベストセラーにしたいのか。

僕は、この物語が、もがいてもがいて、それでも自分の人生と向き合うことを諦めない人達にとってのお守りになる様な物語であって欲しいと思うのですよ。

成功だけの人生にゃあファンはつかない。
弱くても、不恰好でも、それでも前を向こうとひたむきな、等身大な物語。
僕はそんな自分で在りたい。

でも、ずっとそんなじゃ何も守れないんですよね。残したいものも残せない。

自分の理想を、愛する人たちを、そしてこの世界を心から慈しみ愛おしむ為に。
ちゃんと生きようと、ゼロに立ち戻り、ここから始めようと思った話でした。

おわりに

蛇足ですが、、4月1日からどう生きるかについてです。
とりあえずもう少しキャリアの解像度を上げたいので、人や企業に沢山会おうと思います。また報告出来たらと思います。
(端的に言うと、一旦は現職を頑張りながら、転職活動は続けようと思います。動きながら考えます。)

そして何より、意識して”日々の前進感”を大切にしたいと思います。

具体的には、
・思い立ったら即行動、100点を目指さず取り繕わない意識
・日記や日報等で日々感じたことや成長を記録し、振り返るようにする
・毎朝7時に起きる(やったるで)
くらいから始めようかな、と思います。

また、こうしてnoteで発信する活動はまた始めたいと思います。
(非生産な日常は心に毒ですし)

過去を振り返れば、この時間は大切だったんだなぁと思います。
でも、この過去の意味をよりちゃんと決めるのは、これからの自分。

最後に、僕の愛してやまない一説を引用して、このnoteを締めたいと思います。原民喜という小説家が残した、理想の文体とは、という一説です。
僕の在りたい姿で、僕の心根の軸の言葉です。

”明るく静かに澄んで懐しい文体、
少しは甘えているようでありながら、
きびしく深いものを湛えている文体、
夢のように美しいが現実のようにたしかな文体”
原民喜『砂漠の花』

これからどんな人生になるかはまだ分からないですが、ここから。
清濁を呑んで、変化を受け入れ、現実を受け入れ、それでも理想に焦がれ。
もがきながら、人に感謝し、縁を大切にし、そして何かを残せる様な人に。

何かしら感じ取ってくれるものがあればと思います。
ご精読ありがとうございました。

おわり

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そうそう、書きながらどのタイミングで書こうと思ったのですが、後輩たちには本当に感謝しかないなと思いました。

僕の生まれた意味は後世に何かを残すことだと思っています。
今自分がこうやって学びながら毎日を楽しく生きていけるのは先人たちがこの社会を作ってくれたから。そして、僕に投資してくれたから。

だから僕たちも社会をより良くしないといけない。
意志は継がないといけない。自分はそういう意識が人一倍強いと思います。

僕の志は、ここです。
誰もが生まれてきて良かったと思える社会であって欲しい。
だから事業に触れ、力を付け、強くなりたい。

そう思って走ってきたし、その中で出会った後輩には出来ることはやってきたつもりです。

でも、最近、成長実感の薄い日々を過ごしている時にこそ後輩に会いたくなっている自分がいました。
アドバイスも出来るし影響を与えることもできる。
でも過去の話しか出来てないなぁとは気付いてたんですよね。

言うなれば、強豪の運動部の2軍がジュニアの前でイキってるみたいな感覚。
過去の栄光に縋り、自分の慰めにしていたのかなと反省していました。
(とかまぁ言ってみたものの、損得、論理抜きにして皆最高に可愛くて仕方がないんですよね笑 皆がどういようがどう在ろうが、何をしてても何をしてなくても皆が皆だから好きなんよ)

これからまた原点に戻って走り出します。
よりよい社会の為に、よりよい世界の為に。

これからも何かあったら何でも頼ってね。
あと、お腹が減ったら言ってね。
皆がいたから僕は生まれてきて良かったと思うし、皆がいるから僕は頑張れる。

本当にいつもありがとう!


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