死にがいを求めて

<まえがき>
抽象的で感性ゴリゴリの話かもしれません。
ふんわり、お酒でも片手にしながら読んでください。

世の中の企業にはMISSIONというものがあります。
その企業の社会においての役割です。

企業の目指す世界において、自分たちがが何をしないといけないかを定めたもの。それがMISSION。使命とも言えます。
企業は、このMISSIONに基づいて日々の意思決定や、擁する事業の利益追及を行なっていくのです。

人間にも、あるのでしょうか。
自分が何をすべきか、という与えられたものが。
すなわち、”この世に生まれてきた理由”というものが。

自分はどんな世界をつくりたくて、目指したくて、その為に何をすべきなのか。

さて、僕は、あなたは、何の為に生まれたのでしょうか。

僕は何の為に生まれてきたのか

僕は、この”生まれてきた理由”が分からず、辛い時期がずっとありました。
(そもそも探す必要などない気もするのですが、色々あって考え出したら止まらなかったんですよね。)

のうのうと生きているけど、どこを目指しているのかが分からなかったんですよね。

毎日忙しいけれど、例えて言うのであれば、カレンダーの上をぬるぬるを進んでいる様な感覚。
中高時代に部活や恋に情熱的だったあの時、自分の足で日々を乗り越えていく様なあの感覚とは途方も無い距離があって。

まあ、あれですね。要は、死ぬまでの役割が欲しかったんです。
生きがいというか、死にがいを探していたんでしょうね。

そうして生きるのをやめようかなと思い、色々あり結局生きることにしたんですが、あの、不安と絶望の海で溺れる様な、孤独に押し潰されそうなあの恐怖を脱して、自分の人生の使い方についてまた深く考える様になりました。

「自分って、やっぱり何の為に生まれてきたんだろう?」
「やりたい事、したい仕事もあるけどどれも自分の中から生まれてきたものだし。」
「この命、人生を使って、僕は世界に何を残すんだろう」
「僕は、どんな世界をつくる為にこの世に生を受けたんだろう」

そんなことをぼんやり考えながらまた元の日常に戻った時、同い年の女の子から「今からいつもの居酒屋で飲まない?」とお誘いを受けました。
確か、22時頃だったと思います。

何となくただならぬ雰囲気を感じ、多分これは行かないと後悔するな、そう思い家を飛び出ていつもの場所に向かい、そこにいた彼女はやはりとても辛そうな顔をしていました。

ハイボールを飲みながら話を聴いていると、その子は「もう生きるのがしんどい」と口にしていました。(理由は伏せさせて頂きます)

その子の泣きそうな虚ろな顔を見てると、心臓を針で刺された感じがして、僕も泣きそうになりました。
「あぁこの子は少し前の僕だなぁ」と思い、とりあえず話を聴いて、僕もそうだったよと自分の話もしながら、僕に「生きよう」と思わせてくれた、僕を救ってくれた言葉を教えてあげました。

何だかんだで2時間ぐらい話して、彼女の少し晴れた顔を見れましたし、終電の時間がきたのでその場でお別れをしました。
すると、電車に乗り込んだ時、彼女からLINEがきたんですよね。

「今日はありがとう。とても楽になりました。」
「貴方がいてくれて良かった。久々に明日が楽しみになった。」
確かこんな感じの内容だったと思います。

その時、鳥肌が立つぐらい嬉しくて。安心して。
何の為に生きてきたのかも、生きているのか分からない。
ただ、僕が生きてきたことで、誰かが少し生きやすくなった。
誰かに生きてて良かったと思ってもらえた。

たったこれだけの事実が、本当に嬉しくて。
あぁ、生まれてきて良かったな。
生きてきて良かったな。
自分はこの為に生まれてきたんだろうなって。
そう思ったんですよね。

自分のやってきた事、感じてきた事、経験した事、得た知識、能力、生まれ持った才能、全てはこの為にあったんだって。

全ては、「自分と自分の人生を愛してもらう為に。」

そう気づいた時、嬉しくて、安心して、家に帰って泣いたのを覚えています。その子には今でも感謝してもしきれません。

正直、まじでどっちでもいいとは思う

...とは思うんです。別に自分の使命があっても、なくても。
探そうとしなくてもいいと思うんです。ないと幸せになれないという訳では絶対にないし。圧倒的にそういう考えしてる人の方が少ないと思うし。

ただ、本当に生きている意味を探して苦しくなったり、しんどい思いをしている人は、きっと向き合わないといけない問題だとは思うんですよね。
そして、頼むから1人で考え込むのはやめて欲しいんですよね。
まじでしんどくなるだけだから。費用対効果悪すぎるから。

そういう悩みって、要は「自分は何者でもない」ということだと思うんですよ。自分の役割が分からない、何故生きているのか分からないってことだから。

だから、考え込むんじゃなくて、実際に手足を動かして見て欲しいんです。
そうじゃないと得られないもんってあるし、その得られないものにこそ大事なもんが詰まってると思うんです。

きっとそういう使命天命の類のものって、自分の頭で考えて分かるもんじゃないと思うんですよ、それで見つかるのって「もしかしたらこれかな?」って仮説にしかすぎないと思ってて。
実際に色々やってみて、いろんな人と話して見て、色んな経験をしてみて。
そこで得た刺激や実感こそが、あなたの欲してるものを満たしてくれると思うんです。

それに、そうやって探している間はあなたは「何者でもない」のではなく、「自分が何者かを探している人」になるから。
旅路の途中って考えたら、何か楽になりませんか?(なったらいいな。てか、なれ。)一旦何者か、という不安は拭われるとは思いませんか?

そうやって地道に自分の抱える絶望と向き合いながら、日々を丁寧に生きることが大事だと思うんです。
そして、いつかやってくる答えに期待しすぎることも多分ダメで。期待はバイアスの裏返しだと思うから。

目の前のことに全力になる。
日々を、毎日を丁寧に生きる。やるべきことをきちんとやる。
でも自分の掲げた旗は見失わないように、意識することは忘れない。

そういうバランスを取りながら、絶望と希望の間でせめぎ合いながら、生きていくと、いつかひょんなことから自分の生まれてきた理由が見つかる。...かもな。多分ね。知らんけど。
それぐらいの気持ちで、生きましょう。

**大丈夫、僕もあなたも、明確な問いへの答えを持ち合わせていなくても、僕らは皆自分たちの絶望と向き合い続けてる限りは、人間だから。

何者かになろうともがいてる、卵たちだから。**

おわり




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