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僕が住みたい国  新見正則

自分の意見を言える

僕が住みたい国は、政府のリーダーを公然と批判しても逮捕されたり、罰せられない国です。言論の自由がある国と言い換えてもいいでしょう。ある特定の個人を中傷したり、貶めたりすることには反対ですが、公人であれば、そして当方も名乗っていれば、いろいろな意見を発することができる国を望んでいます。

今度の戦争にもいろいろな意見があります

ウクライナとロシアの紛争(実は戦争です)を見ていて、どちらに味方をするかと言うと、政府が言論統制をしていないウクライナを応援したくなるのが僕の心情です。

核の脅威をちらつかせて、そして軍事力で、その上国際法に反して、他国を侵略する行為は120%許せません。でも、日本は言論の自由がある国ですから「侵略されたウクライナにも落ち度はある」といった意見も耳にします。

それぞれの事情があっても

確かに双方にいろいろな事情があるのでしょう。
それぞれの国にそれぞれの事情があるからこそ、国際法が必要で国際連合の価値があります。国際法を蹂躙して降伏を迫り、そしてあたかもウクライナに非があるような情報操作には限界があるように思えます。

これまでの常識が通じなくなった

今回の戦争は、僕的には言論の自由がある国と、言論の自由がない国の闘いです。今までは、民主主義からは遠い専制国家的要素が強い国でも、国際法を公に破って侵略することはないだろうと僕は思っていました。でもそれは間違いでした。

遠い国の出来事ではないよ

遠い場所でのウクライナとロシアの戦争ですが、実はロシアは日本の隣国です。今回のウクライナへの戦争は近い将来の自分事の可能性が高いのです。自分の国家観を考えるのには良い機会と思っています。

2つの両極でとらえる

僕は極端な意見をいつも頭で持っています。
いくら武装しても、所詮負け戦となるのであれば、自衛隊を放棄して、警察と海上保安庁だけで精一杯国を守って、それでも侵攻されれば、潔く降伏するという選択肢もありでしょう。

そのときは言論の自由を放棄することになります。でも命は長らえます。

正反対の意見は、日米安保を基軸として軍備を増強し、自国は自分で守るという姿勢を諸外国に見せ、いっそ徴兵制にして、すべての国民が対戦車ミサイルを撃てる訓練をし、原子力潜水艦を(共同)保有して、核弾頭を搭載しておくという選択肢も、ひとつのオプションと思います。

遠い異国で僕は愛国者だった

僕の愛国心は1993年から1998年のオックスフォード大学博士課程留学中に頂点に達しました。遙か遠方から日本を眺めていると、そして日本人であることを自覚すると、自然と愛国心が沸き、自国のためなら死んでもいいと思っていました。愛読書は司馬遼太郎の坂上の雲でした。「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。」で始まるこの小説を、異国の地で挫けそうになる度に、むさぼり読んでいました。

平和な日本に愛国者はいるの?

ところが、帰国して、日本の平和な日々に慣れると、そんな愛国心は一気に萎え、藩よりも家族を愛する藤沢周平の小説が愛読書になりました。

娘には小さな頃から、日本人である必要はない、日本に執着する必要もない、世界のどこで暮らして誰と結婚しても構わない、ともかく生き延びなさいと話してきました。そのためにも、母国語としての日本語と、そして英語、将来は(すでに現在でも)大国になる中国の言葉を学んでほしいと願っていました。

自分ごととして、リアルに捉える

そんな愛国心のない親爺でしたが、今回のロシアの侵略は僕の萎えていた愛国心にちょっと火を付けました。僕は自由に発言できる民主主義を大切にしたいと思っています。幸か不幸か、日本は多くの先進国とは異なり、民主主義のための内戦や国家紛争を戦ったことは過去の歴史ではありません。

民主主義を守るための他国との闘いが、近い将来の自分事として現実味を帯びています。

徴兵するなら還暦過ぎの親爺から

先ほど徴兵制に賛成という意見も出しました。
僕は、まず還暦を過ぎた僕達より上の男子が徴兵されればいいと思っています。60年も自由に語れる民主主義を謳歌できました。しかし世の中は不平等で、不公平だと常々思っています。娘にもそう伝えてきました。

でも、機会の平等はある程度は保障されています。残りの人生が少ない還暦過ぎの親爺が対戦車ミサイルの使い方でも学べばいいと思っています。

自分の住みたい国に住むために

自由はやっぱり、自分達で勝ち取り、守るものだと思うのです。
若い人がどんな国家感を持つかは自由。これからは若い人の時代ですからね。
今回の戦争は、しっかりと、自分の頭で、自分事として、自分と国家の距離感を考えるとっても良い機会と思っています。



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