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映画「おくりびと」を観ました  新見正則

また一人、見送りました

久しぶりに葬儀場に行って来ました。親戚の葬儀でした。お化粧された顔を見て、おでこを触り、お別れをして、火葬場に送りました。そして一緒に火葬場に行きました。1時間ちょっとで骨になりました。骨を拾って、そして葬儀は終了しました。また一人、旅立ちました。

 「また会おうの」

そして、その日に映画「おくりびと」を観ました。ちょっと真剣に見ましたよ。人はみんな死にますよね。誰も死を逃れることはできません。そして、僕は「あの世」を信じています。映画「おくりびと」のセリフにあるように、死は門出だと思います。「また会おうの」という映画の中のセリフが大好きです。僕は自分が死んだら、天国で母や、今までお世話になった人たちに逢えると思っています。それが本当かはわかりません。でも、そう思っていると気持ちが楽なのです。

 ひとはいつか必ず死ぬ。その事実を受け止めて

僕を含めた医療従事者は延命だけを御旗にして仕事をしています。そして僕も延命を御旗に働いていました。

でも最近はちょっと違うのです。ひとはすべて死にます。その事実からは逃れられません。所詮ひとは死ぬのです。本当に長生きだけが幸せなのでしょうか? そんな問いがいつも脳裏を巡る年齢になりました。

 自分らしい人生を歩きたい

がんを患って、腫瘍内科の先生のお勧めに従って、エビデンスに基づく医療をしてもらうのも1つの選択です。一方で、所詮100%の成功が得られないのが現状の医療です。医療をそこそこに切り上げて、自分なりの人生を全うして死を迎えるのも実はひとつの正解だと思えるようになりました。

 どうせ死ぬのです。自分らしく生きたい

人生が必ずいつか終了するのです。どんな形で死を迎えるかは本人の自由で、そしていろいろな選択肢があっていいのです。がんと戦って、戦うことで死を迎えることも素晴らしい人生です。一方で、死を受け入れて、自由に生き抜く人生も素晴らしいのです。

 死を穢れあるものと思うのではなく、死は神聖なものです。そして死に行く様を、死後の段取りをサポートしてくれる人達はかけがえのない存在です。そんな仕事への思いも映画「おくりびと」で再認識しました。

 ひとそれぞれの生き方を見守れる医師に

ひとにはそれぞれの人生があります。人生のなかで、年を重ね、自ら話せる過去もあるでしょう。また一生心の中にしまっておきたい、そしてしまっておくしかない過去もあるでしょう。そんなことは周囲の人にとってはどうでもよいことです。でも、本人にとっては本当に大切なことで、それがその人の生き様なのです。人の人生を心から応援できる年齢になりました。そしてそれだけの経験を重ねてきました。10年前の僕には診てもらいたくありません。自分の臨床経験が蓄積され、僕は、今の僕のような主治医に出会い、人生の最後を任せたいと思っています。

本当に大切なことは、自分の人生をどう生きるか。 

「おくりびと」の助演女優の広末涼子さんはすばらしい女優ですね。彼女が私生活でいろいろ苦労していても、彼女の女優としての仕事が大好きです。私生活と仕事は別の次元です。伝統的な正しさだけを堅持して、実力がない人が好きですか? 私生活は私生活です。それぞれの問題です。私生活が豪放でも、よい仕事をする人を僕は尊敬し、望みます。特に国のトップになる人は、仕事ができることが最優先事項です。フランスのように大統領にいろいろな私的な事情があっても、それを許容できる国が僕は大好きです。

本当に大切なことは、その人が行った仕事の内容です。わが国の首相にも僕は同じことを望みたいと思います。

 

 


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