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「何か起これば、私を置いて逃げなさい!」  新見正則

亡くなった母のこと

母は凛(りん)としたひとでした。本当に不思議なひとでした。
尾道の商家に生まれ「子供の頃は裕福だった」と話していました。その母が何故か父と一緒になり、僕が生まれました。父の稼ぎは不安定で、子供の頃はちょっと(相当)貧乏でした。そんな僕の子供の頃の話と、自分で娘を育て上げた経験を『しあわせの見つけ方 予測不能な時代を生きる愛しき娘に贈る書簡32通』(新興医学出版社)で詳しく語っています。

どんなときも凜として

どんな貧乏な時も、母は本当に凛としていました。たまたま父からある程度のお金が入っても、お寺などにお布施をします。自分の家に食べるものがなく、隣家にお米を借りにいっていた時代でもそんなことができる母でした。幸い、成人近くになって、父親の収入も安定しました。父の仕事は、当時は珍しい在野の研究者で特許料が生業でした。

大学初年度148万円の時代

先日の大学の同窓会で、同級生が、「1年目に支払ったお金は148万円だった」と語っていました。歴史ある国立大学の医学部にも合格しましたが、母が東京にいてもらいたそうな雰囲気だったので、慶應義塾大学にお世話になることにしました。その頃には148万円は問題なく支払えるようになっていました。

大学時代は友人がよくわが家に遊びに来ました。何人かで泊まって勉強することもありました。寝食を共にした友人に、母は自分の主菜(お魚など)を回して、自分は質素な食事をしていました。その中で一番母の主菜を食べた友人は医学部の教授職まで上り詰めましたが、母の死後2年して他界しました。今頃天国で語り合っていることでしょう。「必ず出世払いするかな!」と言っていましたが、天国で出世払いをしているのでしょうか。

何か起これば、私を置いて逃げなさい

母はよくこんなことを話していました。「何か起これば、私を置いて逃げなさい!」と。東日本大震災から13年が経過したそうです。全員が津波から逃げることがもちろんよいのはわかっていますが、母が言っていたように、年寄りは置いて逃げるという選択肢も実はOKに思えます。人の命は平等です。

命の貴さは同じでも

高齢になるまで生かしてもらった命と、生まれて間もない、または若い世代の命は、僕には重みが違うように思えます。誰も言えませんが、「年寄りを置いて逃げる作戦も、本当に大きな災害や戦争などが起これば、ひとつの選択肢として考慮されるべき」と思っています。

母の存在が今でも僕の心の中にあります。オックスフォード留学中の5年間はよく遊びに来てくれました。たくさんのお土産を運んでくれました。家内との濃密な時間を過ごせたと思っています。そして、僕の娘が産まれて、優しいおばーちゃんとして孫と遊んでくれました。

若い命、これからの命を大切にしたい

その後は施設にもお世話になり、最期はわが家で、僕たち家族3人と愛犬1匹に囲まれて他界しました。他界した夜も、冷たくなった母と一緒に娘と犬は添い寝をしていました。僕もいずれ他界する日が来ます。娘にあまり迷惑を掛けずに他界したいと思っています。

何か大災害が起こって、僕達のような高齢者を救うために若い命が奪われるのは本末転倒です。母が自然と飾らずに話していたように、「何か起これば、私を置いて逃げなさい!」と僕も言いながら、残りの人生を生きたいと思っています。


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