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映画「オッペンハイマー」と原爆の是非  新見正則

話題作「オッペンハイマー」

今年のアカデミー作品賞に輝いた映画「オッペンハイマー」を見に行きました。3時間を越す作品ですが、居眠りする間もなく、最後まで集中して見ました。確かにアカデミー作品賞に値すると思わせる内容です。

作品のあらすじ

原爆の生みの親である理論物理学者のオッペンハイマー博士が主人公で、原爆開発から、その後の成功、そして広島・長崎への原爆投下、戦後は水爆開発に反対し、赤狩り(共産党追放運動)の嵐が吹き荒れる中、ソ連のスパイ容疑を掛けられる彼の生涯を描いています。

映画「オッペンハイマー」を見る前に、映像の世紀バタフライエフェクト「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」(NHK)を見ておくとわかりやすいと思います。

アメリカの大義

原子爆弾はアメリカのほかにドイツも開発を進めていました。じつは日本でも開発準備が行われていました。アメリカはどこよりも先だって、1945年7月に原子爆弾の開発に成功し、ドイツが降伏した1ヵ月後に日本に世界初の原子爆弾を投下しました。アメリカの兵士の犠牲を極力減らすためというのがアメリカ側の大義でした。

僕の父のこと

僕はいつまでもマザコンで、父親との関係は決して良いものではありませんでした。しかし、父は本当に頭がよい人でした。「原爆が投下されたときに、その爆弾は新型爆弾であると思った」と当時小学生の息子の僕に語っていました。父はアメリカが従来とは桁違いの爆弾の開発を行っていたことを知っていたのです。父は科学者でしたから、何かの情報が入っていたのかもしれません。

広島出身の父は、原爆によってほとんどすべての肉親を失ったそうです。そんな父が「原爆が落ちなければ、日本は朝鮮のように南北に分断されていた」と語ったことは子どもながらに僕の記憶に鮮明に残っています。

戦時下における判断は厳しいもの

世界で唯一の被爆国である日本が正しく原爆の悲惨さを語り継ぐことは必要なことです。しかし、僕は原爆を落としたアメリカを責めることはしません。もしも日本が先に原爆の製造に成功し、それをアメリカ本土に投下できる道具を持っていたなら、当時の軍部は間違いなく原爆の投下作戦を起死回生の一撃として行ったと思います。


日本が原爆を持っていたのにアメリカに落とさず、そしてアメリカが降伏をしない日本の広島と長崎に原爆を落としたのなら、アメリカ側のアンフェアを強く責めることができます。広島・長崎で21万人が原子爆弾で亡くなったそうです。その犠牲の上に、終戦を迎え、そしてその後の復興があります。

もうひとつの未来の姿

父が語っていたように、ポツダム宣言の受諾がもっと先延ばしになり、ソ連が全面参戦し、日本が南北に分断されていたら、どんな南北日本になっていたのでしょう。

僕は原爆を落とされた原因のひとつには、さっさと終戦を受け入れなかった当時の日本にあると思っています。しかし、意思決定者が原爆を東京湾の真ん中と富士山の上空に落としてくれれば、死傷者は極めて少なく、そして日本は原爆の異常なまでの破壊力を認識し、即座に降伏したと思っています。

これからの未来に責任を持てるか?

その後、キューバ危機で第三次世界大戦の勃発が起こりかねない状態となり、そのあとは第三次世界大戦とは無縁の世の中でした。ところが、ロシアがウクライナに侵攻し、核爆弾の使用をチラつかせて恫喝する時代になりました。そんな世の中で日本の安全保障を真摯に考えている人が何人いるのでしょう? 僕は日本も原爆を自衛手段として持つことをひとつの選択肢として否定しません。





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