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連帯責任はナンセンス?  新見正則


5月27日、知人のすすめで生まれて始めて、陸上自衛隊の富士総合火力演習をYouTubeで見ました。

陸上自衛隊の国内最大の実弾演習だそうです。
ウクライナでの戦争が収まらない中、陸上自衛隊もこんな装備を持って
日々訓練しているのだと驚きました。

YouTubeをザッピングしていたら防衛大学校の生活がありました。
4年間の寮生活で8人部屋で過ごすそうです。
そして連帯責任が課されるそうです。
とても僕には務まりそうにありません。

みんなで叱られて廊下に立たされた

小学生の頃、友だちと悪ふざけをして、一人がとんでもなく羽目を外して、
「連帯責任」でみんなで廊下に長時間立たされたことを思い出しました。
個人主義の昨今、連帯責任という言葉が久しぶりに飛び込んできました。

個人主義が当然の世の中で

「他人の失敗も自分の失敗として一緒に償う」という発想自体が時代遅れです。
ウクライナの戦争によって、いつ戦争が飛び火してもおかしくない世の中になりました。戦争や軍事作戦が自分事になってくると、確かに「連帯責任」という発想も必要な気がしてきます。

戦争や軍事作戦では、一人が失敗すれば、部隊全員の命が危険になります。
このような組織では当然に連帯責任という発想が登場するでしょう。

連帯責任なんて厳しすぎるでしょ

僕は日頃から、人生は不平等で理不尽だと語っています。
一人娘にもそう語ってきました。自分の書籍でも講演でも一貫して同じようなメッセージを送っています。

子どもの頃、友だちの火の粉を被って自分までが叱られた時も子どもながらに不平等で理不尽だと思いました。僕はなんとなく自己責任で、その範囲で自由に生きる生活が自分の生き方に合っています。簡単に言うと、連帯責任からは遠い快い時代を生きてきました。

でも、連帯して助け合える仲間は得がたい

ただ、僕はちょっと間違っていたと今は思っています。
連帯責任が課され、お互いに助け合える仲間と一緒にいられる組織も素晴らしいのです。そして、その組織が自分には合わなければ、離れればいいと思います。

NATOも連帯責任だ

集団的自衛権がまた注目を浴びています。これも連帯責任と似ています。
誰かが喧嘩を売られれば、組織としてその喧嘩に加担するということです。
日米安全保障条約もNATOの枠組みも連帯責任です。

街宣車に聞きました

先日、新見正則医院のそば、飯田橋西口駅前で街頭演説がありました。
「自衛隊は違憲だ」という主張です。
そこで「では今、攻め込まれたらどうするのですか?」と尋ねたら
「自衛隊に守ってもらう」という趣旨のビラを渡してくれました。

僕には論理的に納得できませんが、かえって現実的でいいのかなとも思えました。

「戦争がない世の中になったら憲法に従って自衛隊をなくせばいい」と口頭で教えてくれました。しかし、ウクライナへのロシアの侵攻をみていると、世の中(西洋諸国)の常識は通じそうにありません。西洋諸国が予想し得ないことが起こることが現実になっています。そうするといつになったら戦争がない世の中になるのでしょう。

ひとまずは自衛隊を合憲にして、そして本当に理想の世の中が到来したら自衛隊が不要と語る改憲を行っても良いように思えます。一方で、憲法は理想を語るものだから、自衛隊は違憲と言いながらも、内心は自衛隊に守ってもらうという方便もずる賢いようですが有り得るように感じます。

もう、何が正しいのかわかりませんよ

自己主義、自由主義が強い時の僕は、娘には「日本を捨ててもいい、外国人と結婚してもいい、ともかく世界のどこかで生き延びなさい」と語っていました。
連帯責任などまっぴらゴメンと思っている時の僕です。

一方で、今更、自分の国を捨てるのも面倒、残り少ない人生はこの国で過ごそうと思っている初老の自分には、連帯責任が強い組織で、日本が自力でも生き延びられる相当の防衛力を持って、自分達で国を守ろうという思いもいいかなと思います。

その時々で、自分の中でフラフラする今日この頃です。

連帯保証人には気をつけて!

ちなみに連帯保証人になるときは、よほどの覚悟をしてください。
たった一行のサインで、すべての財産を失う可能性もありますからね。
連帯責任の究極が連帯保証人と思っています。


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