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その認識、甘くない?  新見正則


多少の犠牲は仕方ないのか

映画「イミテーションゲーム」では、第2次世界大戦下、イギリスはアラン・チューリングによってドイツ軍の暗号であるエニグマの解読に成功します。

しかし、暗号解読によって得られた情報からドイツ軍の撃退作戦を行えば、エニグマ暗号が解読されたことがドイツ軍に知られることとなり、エニグマ暗号から別の暗号へ変更されてしまいます。

解読できていない体裁を装って(エニグマ解読は徹底的に極秘)、大切な局面を暗号解読を利用して有利に戦うのです。スターリングラード攻防戦やアルデンヌの戦い(バルジ大作戦とも言われています)、そしてノルマンディー上陸作戦などです。

イギリスは犠牲者より大局を優先して勝利することを選び、エニグマ暗号は終戦まで使用されました。

命は地球より重いというけれど

医療現場では命に対する崇高な思いをもった医療従事者がたくさん働いています。新型コロナウイルスが流行したときも、医療従事者は目の前の命を一人でも助けようと懸命に努力しました。

でもじつは、コロナの流行阻止のためのエビデンスのない過度の制限によって心を病んだり、経済的破綻から命を絶った人が実は相当数存在すると発言する人もいます。

政治に求めるもの

政治に必要なことは、大局をみることです。スウェーデンは高齢者の犠牲は覚悟して、コロナ禍でも対面の初等教育を中止しませんでした。過度なロックダウンも行わず、コロナ禍を乗り越えました。

亡くなった母が元気な時、僕達によく語っていました。「地震とか、火事とか、津波とか起こったら、私を置いてあなた達は逃げなさい。私は十分に生きたから!」と。僕も来年で高齢者の仲間入りです。凛としていた母のように、そう若い人に語りたいと思っています。

ゼロリスクを御旗にされると、それに反する発言は猛反対を受けます。「高齢者の犠牲は覚悟して、経済や教育の停滞を最小限に抑えるようにしましょう」とはなかなか言えないのです。

特に民主主義であるわが国で、そして選挙に行くのは高齢者の割合が高ければ、そんな発言をすると票を失ってしまいます。

G7のメッセージ

G7が終わりました。ロシアのウクライナ侵略に断固として反対し、侵略終了までウクライナを支援し続けるということです。ウクライナのゼレンスキー大統領が対面で参加したG7広島サミットは盛り上がりました。

岸田首相の支持率もアップするでしょう。政治家には運も大切です。ゼレンスキー大統領が対面で参加しなければ、アメリカのバイデン大統領はネットで参加していたのではと僕は思っています。

2016年に行われた伊勢志摩サミットでは2014年のロシアのクリミア併合に反対する強力なメッセージを送りませんでした。当時の首相は安倍晋三さんで、外務大臣は岸田さんです。そんな世界の容認の雰囲気が今回のウクライナ侵攻を助長させたと僕は思っています。

犠牲者はあなたかもしれない

戦争や紛争になると、戦闘で死亡する人をゼロにすることはできません。被害を最小限にして国益を勝ち取るかが政治の役目です。それだけの修羅場を日本の政治家が担えるかを心配しています。

まず、命を失うのは自衛隊の隊員でしょう。そして民間人の犠牲者が続きます。仮想敵国が永遠に仮想であるという夢物語は終焉しました。ウクライナを自分事として考える必要があります。そんなことを思うこの数日でした。



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