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私が栗に込めた「約束」と「信用」

こんにちは、新杵堂の田口です。
新杵堂が大切にしている「栗きんとん」。
これは、ただの和菓子ではなく、私たちの歴史や想いが詰まった逸品です。

栗と栗きんとん

今日は「なぜ栗なのか?」という新杵堂の原点について、少しお話しさせていただきます。

戦後の祖父が選んだ「栗」という素材

新杵堂の始まりは、祖父が中国から大分県の臼杵町に戻ってきて、和菓子屋を始めたことから始まります。

新杵堂創業者 田口 由松(よしまつ)

当時は物資が不足していたため、砂糖も簡単には手に入りませんでした。
祖父は、「砂糖に代わるものがないか」と模索した末にたどり着いたのが栗でした。栗には他の果実や野菜よりも糖度が高いという特徴があり、砂糖がわりとして使うことができたのです。この発想が、祖父が栗を大切にし、新杵堂の「栗きんとん」が誕生するきっかけでした。

しかし、栗は決して扱いやすい素材ではありません。
祖父も、栗の皮を手で剥く作業で指が紫色に染まり、いつも手がボロボロだでした。しかし、それでも祖父は「お菓子で人を幸せにする」という信念を貫き、栗にこだわり続けました。その姿勢が、現在の新杵堂の基盤になっているのです。

栗は「約束」で決まる

祖父が「栗」を選んだことで始まった新杵堂の歴史。
その後、祖父は岐阜県中津川市に戻り、地元の栗農家とつながりを持つようになりました。現在、新杵堂では中津川市のみならず、大分県や熊本県、愛媛県などからも栗を仕入れています。

私は毎年、現地を訪れて農家の方々と直接顔を合わせています。
それは、農家のみなさんとの「約束」が一番大事だからです

栗林を農家の方と一緒に歩きながら、これから新杵堂がどんなお菓子をつくっていきたいのか、どうやって世界で栗を使ったお菓子を広げていくことができるのかなどを話します。そして、その場で「今年はこれくらいの仕入れをしたい」といった、ビジネスの「約束」をするのです。

こうした「口約束で栗の仕入れが決まる」ということに驚かれることも多いですが、互いに信頼を持っているからこそ成立する関係なのです。デジタル技術が発展している現代においてだからこそ、直接顔を合わせて話し合い、信頼を築くことで新杵堂の商品が支えられていることを、私は誇りに思います。

手作業から機械化への葛藤と決断

また、栗はその扱いもとても大変でした。イガイガもありますし、皮はとても硬く、また栗の中身も空気に触れるとすぐに真っ黒に変色してしまいます。

私が新杵堂を引き継いだとき、栗きんとんの製造は「皮むき」「洗浄」「こす」「蒸す」「成形」「包装」すべてが手作業で行われていました。

祖父が築いた「手作りの味」を守りたいという気持ちは強かったものの、その一方で重労働に苦しむ社員の姿を目の当たりにし、「どうすれば働きやすい環境を実現できるのか?」と悩む日々が続きました。立ちっぱなしの作業が長時間続き、特に女性の社員にとって負担が大きかったのです。

この状況を改善するため、私は全資産を投入して、製造工程の98%を機械化するという大きな決断をしました。

機械化で得たものと失わなかったもの

その結果、機械化の導入によって栗きんとんの製造は劇的に効率化され、1日の生産量が3万個から7万個に増えました。また、製造時間が短縮されたことで、社員も休暇を取りやすくなり、働きやすい職場環境を実現できるようになりました。

機械化された新杵堂の工場

しかし、機械化による「効率化」だけを目指したわけではありません。

機械化の領域が拡大しても、ちょっとした温度管理や、室温、水加減などで、栗きんとんの味が少しずれてしまうこともあります。
そのため、私たちは幹部や職人たち3人以上が毎日味を確認し、全員がOKと言わないとその日は出荷しないというルールにしています。

実際に、年に数回は出荷できない日があり、その日はかなりの損失となってしまいますが、お客様からの「信用」を守るためには、ここは譲れないところなのです。

挑戦と成長の先にある「和菓子で人を幸せにする」使命

新杵堂が大切にしている「和菓子で人を幸せにする」という理念は、祖父から受け継がれ、私にとっても心の支えです。この理念を形にするためには、日本だけでなく世界にも目を向けなければならないと感じています。

今、私たちは世界中で栗きんとんをはじめとするお菓子を届けていますが、祖父が歩んだ「約束」と「信用」の道をしっかりと守りつつ、新しい価値を皆さんにお届けしていきたいと思っています。

新杵堂グループ代表
田口和寿

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