仕事とお金の遣い方についての価値感。
仕事とお金の遣い方についての価値感。
残念ながらこれは僕の話ではない。
大学時代にコンサルでインターンをしていた時に、優秀な東大生の同期がいた。
これは飲み会で彼が話していたことだ。
話を聞いたのはほんの数分のはずなのに、就活で会社を選ぶ際や、その後のお金を遣う時にもふと脳裏を過ぎる。
私が彼の話を思い出した累計時間は、彼が恵比寿にあるKINTANの焼肉屋で語った時間よりも、遥かに長いだろう。
自分の中で断片的になっている記憶を、ここらで言語化してまとめておこうと思った。
彼のお金について価値観は、おそらく品のない言葉を使うなら「勝ち組」なものだし、言語化して損はない気がするから。
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給与を「①生活費」と「②勉強代」と「③貯金」とに分けて遣う。
社会人1年目からそのサイクルを正しい方向に回していると、給与水準が上がり次第に「①生活費」と「②勉強代」に遣っても、使い切れなくなってくる。
使い切れない分を「③貯金」に回す。給与の半分以上を「③貯金」に回せるわうになったら、余裕が出てくる。
子供を産んだりするのはその水準程度には夫婦で余裕ができてからだ。
そのまま淡々とPDCAサイクルを回し続けると、40代の終わりまでに生涯の生活費を稼ぎ切る。
ここで、致命的なミスをするありがちなパターンは、入社した1社目が「①生活費」ギリギリの給与しかもらえず、爪に火をともすような生活になることだ。
すると、「②勉強代」と「③貯金」ができている人と宇宙拡張の如く差が開き続ける。
大学時代ですら口を開いて30秒話せば目に見えた差が、30代では社会的な地位や生涯賃金という目に見える資産にもダイレクトに反映されている。
以上を、大学時代に複数の書籍とインターンで出会った50人以上の社会人たちを参考に、私は学んでいた。
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大学時代に図書館棟に籠ってひたすらに本を読んでいた。
自分の学年では、1番に自分が本を読んでいたと自負している。
図書館に篭りすぎて、図書館で本読んでいない時は、図書館で大学内アルバイトをしていたから、その自負はそうそう間違えていないはずだ。
常連同士は挨拶しなくとも顔見知りになっていた。
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大学時代にかねてから不思議だったのは、学校の勉強しかしない優等生がとても少なかったことだ。
確かに、主席格の学生たちはよく勉強する。
よく「アメリカの大学では学生は勉強するのに、日本では〜」という主語が大きい二項対立が語られる。
話が逸れるが、いつもその言説が出るたびにコメンテーターやリプ欄を含めて、「自分は勉強していた」という人が議論には登場しないなと思いながら見守っている。
日本でも僕が知る限り、名の通った大学の優秀層は非常によく勉強している。
大学によるが、(あまりオープンには行われていないが)成績トップ10番目くらいまでは学部ごとに表彰制度があったり、学費免除などが行われているので、表彰式などで主席格はお互いに顔見知りのことが多い。
例えば慶應義塾大学の医学部では、成績優秀者が特待扱いで学費免除となることが有名である。
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話を戻そう。
彼らはよく勉強するが、はて、話が大学の勉強以外に及んだ途端にガクンと勉強しなくなる人がわりかし存在した。
(もちろん大学以外の勉強をする人も存在したことは断っておく)
例えば、名門進学校の男子高卒だと大学入学までファッションに疎いことが多い。
しかし、ファッションはセンスでなく知識でカバーできる範囲が大きい。
それは文学部にて美学を学べたり、美大にてデザインやファッションの分野を学べるほどに、学問として体系化されていることからも窺える。
少し話が逸れるがいやらしい話をすると、専門学校卒のデザイナーと美大卒のデザイナーで関われる仕事の範囲や規模(そしてもらえる年収レンジ)が大きく変わることが多い。
美大卒のデザイナーが本社から全体戦略を支持して、それを現場の店舗で専門卒のデザイナーが形にするように。
話を本筋に戻すと、ファッションすら少し勉強すれば学べて、「芋っぽい」から「けっこうおしゃれ」と言われるくらいまでは半年くらいで到達できる。
知識を入れて、実際の店舗で合わせてみることを繰り返すことで、自分の雰囲気と合う服のブランドを知る。定番と流行の型を知ることで、一年限りで古くなるのか、長く着続けられる服なのか判断できるようになる。
しかし、大学の勉強を真剣に取り組み、モテたいと思って口に出しているのに、そちらの方向には時間も労力も割かない同級生をみて、奇妙なものだなと思っていた。
医学部にしろ、宇宙物理学にしろ、大学の勉強の難易度の1000分の1以下の時間と労力で成果が返ってくるのにと。さながらITパスポートのようにやればできる楽勝な分野なのに。
とはいいつつ、そもそも勉強で1番難しいのは、「どの方向の知識を身につけると、有用なのか判断すること」だから、さながら彼らの気持ちが分からなくはない。
例えば、受験勉強なら全ての科目を満遍なくやるのではなく、まずは英語と数学だけ特化で成績を圧倒的に上げておけば、あとはどうにでもなる。
だからこそ東大専門塾の鉄緑会は、しばらくの間は英語と数学のクラスしか開講していない。
日本史だの、現代文なんかはある難易度の進学校に入れる学力があれば、入試をクリアする水準に上げるまでそんなに時間がかからない。
東大か、早慶か、それ以下か、といった志望校のレベルは高校2年生までの英語と数学の成績でほとんどが決まる。
これを知らなけば高校一年生から日本史だけ頑張るような見当違いの努力をすることになる。
同様に、モテたくても「ファッション」の勉強をするという閃きがなければそもそも、その方向に時間と労力を投下しようとする発想すら浮かばない。
ファッションをおさえたら、次は駅ごとの雰囲気の良いカフェと季節ごとのデートスポット、盛り上がりやすい話題などの順番に抑えるだけで、異性と話す際に目に見えて盛り上がりが変わるようになる。
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ファッションと同様に、お金についてや、美術館など時間をかけて身につけたい知識の方向性についても、大学の専門科目の勉強の合間を縫って時間とコストを投下した。
正直に言うと専門科目に比べれば1000分の1以下のコスト投下で、リターンがあったし、何もしていない人と比べて楽勝することができたので笑いが止まらなかった。
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ところで、私は彼が今何をしているのか知らない。何をしているのだろうか。
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