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生成AIと図工・美術の授業を考える


(この記事は28 January 2024に美術による学び研究会に寄稿したメールマガジンのものです)
GIGAスクール構想により一人一台タブレットが導入されて3年、「学校現場では使わない日がないほど、学校生活の必需品となっています。」と自信をもって言いたいのですが、実際はそうではなく、学校間でICT活用の格差があるのが実情なのです。こうした学校間格差をなくそうと、文部科学省が全国の200校を対象に「リーディングDXスクール事業」として指定校を募り研究をしているところです。「リーディングDXスクール事業」とは、GIGA端末の標準仕様に含まれている汎用的なソフトウェアとクラウド環境を十全に活用し、児童生徒の情報活用能力の育成を図りつつ、個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実や校務DXを行い、全国に好事例を展開するための事業のことです。

このリーディングDXスクール事業の指定校として研究を進めている中で、強く感じたのは、これまでの授業観からの変革です。「みんなと同じことを同じように」を過度に求めていた学校現場の考え方が大きく揺らぐようなものでした。これまで行ってきた板書や板書をノートに書き写させること、プリントを配って穴埋めをさせる、みんなで集まってミニホワイトボードに考えを書かせる、まる付けするために教卓に長い行列・・・などなど。こうした何気ない活動は、効率よく全員に同じことを同じレベルにもっていくためのスキルでもあったと思います。その一つ一つを「何のために行うのか」という疑問をもって検証することで新たな授業観へと変わっていけるのではないかと思うのです。

また、ChatGPTなど生成AIの出現により今後学校現場がどうなっていくのか、不安を抱えている先生も多いと思います。美術の授業でもcanvaやAdobe Expressなどテンプレート系のソフトを使うようになってきました。主にデザインの授業での活用やデジタルのポートフォリオ作成、レポート等での活用が主だと思います。生成AIは、プロンプト(コンピュータへの命令)を打ち込むと瞬時に画像を生成したり、文章を作成したり、企画等を提示してくれます。非常に便利なものですが、その利用に関して文部科学省から「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」が示されました。この生成AIの活用について、非常に面白い授業をしている先生がおりますので紹介させてもらいます。東京学芸大学附属小金井小学校の鈴木秀樹教諭が小学校4年生に行った授業です。

「生成AI時代、人間の価値はどこにあるのか。人間がすべきことは、目指すべきことは何か。それを考えるのは、これから生成AIと共に人生を歩む子どもたちであるべきであろうと考えて行った授業実践」で、プロの画家と生成AIに同じプロンプトで絵を描かせたらどうなるか、それを見て子どもたちはどう思うのか、そこから我々が考えるべきことは何かというものです。美術教育に携わっているものからすると非常に興味深いものです。

授業の構成としては2回に分け、はじめに長田さんの作品を鑑賞することから始めます。画家が描いた絵を鑑賞して、語り合う、そのご本人が登場し語り合うといったものです。長田さんは「絵を描くときに思っていたこと」などを語ると、子どもたちは衝撃を受けていたようです。ここまでは普通の鑑賞の授業ですが、ここから「長田さんとAIに同じプロンプトで絵を描いてもらおう」と鈴木先生が提案します。子どもたちは「そんなこと頼んでいいの?」という反応があったようです。どのようなプロントにするか子どもたちで話し合い、投票の結果、以下のように決まったそうです。

シマエナガという鳥にしてください、絵具を使ったようにしてください。いい感じの色でお願いします。幻想的にお願いしいます。背景をぼやかして、シマエナガだけはっきり書いてください。背景は森の中にしてください。動物はシマエナガが五匹までお願いします。(飛んでいる姿)油絵でお願いします。白黒ではなくて、カラーでお願いします。

Divergence (Emi Osada)


最初のプロンプトでChatGPTが出力した画像

子どもたちの感想です。

「人間に例えて動物の絵を描いていてびっくりした。長田さんの絵にはたくさんのいろいろな感情が詰まっていることがわかった。」

そして、2ヶ月後、長田さんが描いた作品とA Iの作品を見比べる授業が行われました。長田さんが描いた作品がこちらです。布をかけていたものを外したとき歓声が上がったようです。

以下、質問タイムのやり取りです。

子ども:「他の絵にも自分の感情が入っているって言ってたじゃないですか。このシマエナガにも(長田さんの感情が)入っているんですか?」

長田さん:「上の3羽は同じ枝の方を向いているけれど、下の1羽は地面の方を向いているでしょう? 人間も、周りの人が同じ方向を向いていると『それが正しいのかな』と思いがちなのだけれど、自分の感覚を信じて物事を見てみると自分だけの正解を見つけられたり新しい出会いがあったりする。そういうことがあるといいんじゃないかな、という想いを込めて書きました。」

そして、鈴木先生が「じゃあ、そろそろ生成AIにも絵を描かせよう」となり、その場で先に示したプロンプトを打ち込むとすぐさま左のような作品が出てきました。長田さんの絵が現れた時とは違い、ダメ出しばかりだったようです。納得がいかず、プロンプトを少し変えてみながら何度か出力し直したようでした。

鈴木先生:「同じプロンプトで人間とAIに絵を描いてもらったわけだけれど、絵を描くことに関しての人間とAIの違いってなんだろう?」

子どもたちの意見をまとめたものがこちらです。

鈴木先生が子ども意見をその場でまとめて作ったスライド

授業の終わりに取ったふり返り「これから先、人間ががんばるべきことは何でしょうか。(「絵を描く」以外で)という問いを投げかけると以下のような振り返りが出てきたようです。

「AIは感情がないので感情をいっぱい持つ」

「AIは今はまだ完璧じゃないからいいけれど「自分で考える力」や「感情」を持ってしまったら、人間に制御できなくなってしまうから、そのあたりは人間が頑張って、AIを制御できるようにならないといけないなと思いました。」

「答えが分からないことはずっと人間が、探していったり、考えてみたり、行動にしてみたりして人間が答えにたどりつかなくても、考え続けることも大切だと思うから、こういう答えがないものは人間がやった方がいいと思います。」

鈴木先生が最後にこのようにまとめています。「生成AIが登場した今、子どもたちにさせるべき経験は、例えばこういったやり方で生成AIと人間の違いについて深く考えることではないでしょうか。サクッと「生成AIというのはこういう仕組みでね」と説明して、いじらせれば自然とわかっていくだろうと考えるのは、さすがに乱暴ではないか、というのが私の立場。子どもたちに直接、生成AIを触らせる日は近いと感じていますが、その前にやるべきことはまだまだあるのです。」いかがでしょうか?非常に刺激的な実践だと思います。詳しくは、鈴木先生のnoteをご覧ください。

生成AIは小中学生が持つスマホでも自由に使える状況です。この実践を拝見して、一番に思ったのが、生成AIで出力したもので満足するような授業の課題を与えてはいけないということです。これまでに増して、人間にしかできないことが焦点化されてきます。美術の授業においても、実際にその人が作る意味とか、その人にしか描けないこととか、表現することの価値について話し合っていく必要があるのではないかと思います。コンテンツベースからコンピテンシーベースへと変わらなければいけない美術の授業。「題材」の考え方、授業の構成、学び方など、これからの時代を生きていく子どもたちのために何ができるかを真剣に考え、多くの先生方と意見を交わしていきたいと強く思います。


鈴木先生監修のこの本、ぜひ!おすすめです!


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