こういうとこだな、佐久間宣行


 TBSラジオの『空気階段の踊り場』を聴き始めた時や、ニッポン放送の『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』が始まった時、「あ、この人たちはこうなんだな」と、新鮮に感じたことがあった。
 このふたつだけでなく、他にもそういう番組があるのだが、その番組の中でかける曲の、選び方に関してのことである。その曲が新しい曲か古い曲かを気にせず、パーソナリティ自身が好きな曲をかける、という選び方なのだ。
 音楽番組ではない、トークが軸の深夜帯のラジオ番組の場合、そこでかかる曲は、もうすぐ発売になる、もしくは発売になったばかりの、新しい曲。というのが、僕がラジオを聴き始めた頃(45年くらい前だ)からの常識である。
 当然だが、アーティストやレコード会社が宣伝したいのは、常に新曲だからだ。だから、ラジオ局担当の宣伝マンは、新曲を持って行って「かけてください」と売り込む。番組のディレクター等のスタッフは、それらの曲の中から選んでかける。
 という数々の深夜番組を聴いて育った上に、音楽メディア業界に就職したもんで、僕もその「今かけるのは新しい曲」というのが、完全に身体に染み込んでいる。
 昔、自分も、たまにラジオ番組に出ることがあったが、必ず最新の曲から選んでいた。「そういう特集だから」みたいなエクスキューズがある時だけだった、古い曲をかけるのは。
 よく考えたら、「古いも新しいも関係ない」「だから古い曲がバズることもある」という、ストリーミング・サービスやYouTubeやTiktok等の普及以降、この「売りたいのは新しい曲」という常識って、昔と比べると、かなり、気にしなくていいものになっているはずだ。
 でも、まだまだ音楽メディア業界には、その習慣が残っているし、僕もいまだにそうである。

 だもんで、鈴木もぐらや佐久間宣行が、自分が好きな昔の曲を普通にかけることを、とても新鮮に感じたのだった。
 鈴木もぐらは、ただ好きでそうしているのだと思うが、佐久間宣行は、年齢的にも業種的にも、きっと僕と同じく「売りたいのは新しい曲」が常識である中で仕事をしてきた人なので、あの選曲は、あえてそうしているのだろうと思う。

 でも自分は、やっぱり、旧世代の常識の中で生きてきたもんで、「この選曲、俺には無理だわ」と思うことも、いろんな番組を聴いていると、あったりする。
 たとえば、そのバンドの新曲が出たばかりなのに、昔のヒット曲をかけるとか。たとえば、ヒロトとマーシーの話をしたあとに、ザ・クロマニヨンズじゃなくて、ザ・ブルーハーツ、もしくはザ・ハイロウズの曲をかけるとか(そういう特集なら別ですが)。
 そんな自分をめんどくさく感じたり、そういう業界の風習に縛られない人を、うらやましく思うこともあるのだが。

 で。
 2023年12月6日。チバユウスケが11月26日に亡くなったことが発表された2日後の、『佐久間宣行のオールナイトニッポン0』。
 この日の放送で、佐久間宣行が最後にかけたのは、The Birthdayの「涙がこぼれそう」だった。
 そして、番組の締めのトークで、彼は言った。
「今日は、ROSSOもミッシェルもたくさんかけたい曲があったんですけど、現役の方のバンドの曲をかけようと思って」
 普段はあんなに自由なのに、こういう時はちゃんとThe Birthdayの曲をかけるのか。
 さらにだ。そのあとに言った、
 「やっぱり思うのは、今観れる人とか今応援できる人のところには、俺もこれからもたくさん行こうと思いましたね。いつ何があって観れなくなるか、わかんないから」
 というのは、この人が以前からよく口にしていることだが、それの前に言ったひとことだった、キモは。
 「まあまあ、ROSSOもミッシェルもThe Birthdayも、このまま一生聴きますし。よく考えたら、このあともラジオで普通にかけていくだろうからな。と、思っています」

 佐久間宣行、今やすっかりテレビ制作者として、お笑い番組界を代表するカリスマ的存在になっていて、ラジオに留まらずテレビのレギュラーMCやCM出演までして、つまり、めちゃくちゃ成功している。だから、権力とかも持っている、はずだと思う。
 なのに、そのわりに、妬まれたり、ディスられたり、足をひっぱられたり、足元をすくわれたり、ということが、ない……いや、さすがにあるんだろうけど、少なくとも僕なんかの目につく範囲では、不思議なくらい、そういう声がない。
 という理由は、こういうところにもあるんだろうなあ。
 と、思った。他のところにも、いっぱいあるんだろうけど。

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