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自己紹介:産まれてから25歳まで興味がなかったこと。

“25歳まで。植物を愛して育てること、エンターテインメントの当事者になろうとすること、掃除、クラシック音楽を聞くこと、ポエトリーリーディングを聞くこと、自然への愛着、月を見上げること。どれもほとんど全て、子どもの時分には、近くにあったのに、素通りした。だけど、今現在は、それらが、逆にそれらしか、僕の興味がない。”

 過去を振り返ってみると、もったいない、でももう取り返せないとは思わないようにします。

 取り返すように、昔の記憶を引っ張り出す、繋ぎ合わせるように、過去が無駄にならないように、過去をいい過去に変えるように今を生きています。

 高校卒業後、国家三種職員として、防衛省に入省しました。会計検査院、公正取引委員会、航空自衛隊次期戦闘機、予備自衛官、陸上自衛隊幹部自衛官人事の関係の部署を転々とし素晴らしい経験をしました。 僕は最初の配置を除き、ほとんどすべてにおいて、少将、中将、大将クラスの考えを直接受けられる場所にいました。

 それは、ぼくをみてくれて認めてくれた人がいたからです。話の組み立て方を教わり、相手に理解してもらう(トップに了解してもらう)ためにどんな情報を相手が欲しているのかを考えた上で、順序立てて整然と話せたり議論を整理できるようになれたと思っているし(ちょっとくどいのが欠点…笑)、結果を出せば、あるいは結果が出なくても、くじけずに改善していくことで、評価される(された)という認識をもてていることは本当に良かったと思っています。

 11年を経て、僕は国家公務員を退職しました。恥ずかしながら少々国家公務員という職からの逃げという一面もあったけど、とにかく自分の手にスキルを身に付けたかった。国家公務員で60うん歳まで行って、何ができるんだろうと考えました。

 生きるために何が必要なんだと考えた時に一番に出てきたのが、植物もとよりタネでした。タネさえあれば、生きていける。コンクリートジャングルだってコンクリートを剥がせば必ずある土、地球に必ず存在する水(雨)、太陽や月がある限り照らし続ける少々の光、人間が生きていられる空気(酸素、二酸化炭素、窒素)さえあれば、先人が築き上げてきた植物が生長する理論、必要なものを持ってくる技術などのスキルがあれば、生きていけるんだって考えました。

 楽しんでやりがいをもって、一番の興味になっています。今現在は有機栽培の農業法人で働いていますが、お金の得どころであり、学びの場です。さらにサラリー頂いているので、少しある休日は、やりたいことがやれている!持っている畑を管理すること!大事な妻、大事なこども3人がいた。そんな時に公務員というを手放すのかという意見もあった。でもこれからの日本の食料自給率を上げていかなければいけないことや地震などの天災、ヒューマンエラーにより起こる人災において、そこから一番大切な家族を守りたかったのです。

 さらに、例えば、光がスポットライトのように一点だけ差し込む深い深い穴、のぼることができない穴の中。家族だけで生きていくことになったならば・・・種は持っているか。持っているよ。あの時決断していたならね。とだけ、考えても答えは明らかで、スキルをつける必要が出てくることが見えているからこそ、その当時の決心でした。

その次の年、有機農業界に転職をしました。

自己紹介が数回続いてから皆さんと一緒に考えて楽しいエンタメのことを書きたいなぁと考えています。

皆様がニコっとかウーンとなるようなことを書かせていただきます。皆さんがいつも元気でいられますように。僕は今日もニコやかに考えています。また見てください。それではまた。



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