第59話 「熟年から熟成期へ」

   (松本市民タイムス リレーコラム 2020年8月11日掲載分)

2ヶ月ほど前、夜中にぼんやりとテレビを眺めていると何やら美術に関する番組をやっていました。

画面にはかなり年配の男性。長い棒の先に付けたチョークで、床に広げた大きな紙にゆっくりとしかし大胆に何か抽象的な絵を描いています。やがて下絵を書き終わると老人はハサミでその形を切り抜いていきます。この型紙はその後染色工房に運ばれて壁を覆うような大きな作品に仕上げられて行きました。

僕はこのテレビ番組で初めて柚木沙弥郎(ゆのき さみろう)さんのお名前を耳にしました。
柚木さんは今年97歳。なんと今も現役で活動されている染色家です。

柚木さんは東京出身ですが、旧制松本高等学校で学んだことから松本との関わりが深く、そのご縁で今年の春には松本市美術館で展覧会が開催されていました。
偶然テレビ番組を見た僕は、運良く展覧会のことも知ることが出来、その展覧会の最終日に柚木さんの作品を拝見することが出来ました。
展示会場に入ってすぐの場所には、型紙を切り抜いている場面をテレビで見たその作品が大きく飾ってあり、その迫力に圧倒されました。
20歳代半ばから染色の作品作りを始めた柚木さんは、当初から民芸に深い関わりがあり、その作品も芸術的なものから工芸的なものまで幅広く制作されました。でもとにかく僕が驚いたのは、お年を召してもその創造力のパワーが衰えないこと。普通の人ならば60歳くらいになってそろそろ引退だなぁなどと考える年齢から、どんどんと海外の個展などをやってそこからまた作風が変わったり新しいことを始めたりしています。何というエネルギー。
最近の僕が少し弱気になって、後何年楽器を作れるだろうかなんて言っているのが恥ずかしくなってしまいました。

たまたまですがその翌週、今度は安曇野の髙橋節郎記念美術館を見学する機会がありました。

髙橋節郎さんは穂高町生まれの世界的に有名な漆芸家です。お名前は知っていたものの今まで機会が無く今回が初めての作品鑑賞でした。
髙橋さんも20歳代からずっと漆一筋に制作を続けてこられましたが、残念ながら平成19年4月に92歳で亡くなられました。

その作品は漆黒と金を対比させ幻想的なまでに緻密で、様々な漆の技法を駆使して細部まで繊細に作り上げられた世界は、そこからずっと目が離せなくなってしまうほどでした。
人生百年時代。健康であれば時間はたっぷりとあります。何を成し何を成さぬか。じっくりと考えたいものです。

60歳から80歳までとしても20年。

新しい習い事を始めるのもいい。
20歳代からずっと続けていることを突き詰めていくのもいい。
歳を取ることにあこがれる。
精神が深まっていくのか、人間が枯れて俗事に惑わされることなく過ごせるようになるのか。

  より緻密に。

  より大胆に。

いつか「老人」と呼ばれるようになったあとで、そんな生き方ができたらと願う。

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