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音の森

恥ずかしい話をする。

音楽を作ることのコツや要領を持ち合わせていないのだけど、
それにしてもここ最近は毎日とことん落ち込む。
文字通りありとあらゆる手段を使って自分に響く音楽を模索するのだけれど、
言葉にするのもいやになるくらい自己嫌悪になる。

昨日なんかは昼過ぎに作業に入り、休憩含めて20時間近くスタジオにいたにも関わらず、一ミリも満足のいく曲が作れない。
曲どころか数小節のスケッチですら形にならない。
もっとも自分が素晴らしいアイデアを手にしているとしても気づけないこともある。
そういうことを想定し、よほど直感でダメなもの以外極力データを残す癖もついた。

そんなタンスの肥やしのようなものが10年経って今の自分と化学反応し、新しい音楽が生まれることもある。時を超えた自分とのコラボかな。
もはや作った記憶もおぼろなので、
趣味の近い他人とセッションしてる気分でもある。リリースされた作品にはそこまで興味は戻らないけど、前出の行き場を失ったアイデアに焦点を当て直すのは好きなのだ。

アイデアやメロディなどは毎分毎秒、様々なものに影響を受けて頭に浮かぶ。
その中で実際に作業台に乗っけて試行錯誤し、何十ときには何百にも及ぶトライ・アンド・エラーを繰り返す。幼稚なものからアブストラクトなものまで手当り次第に試すしかないのだ。

そうやって、奇跡的に少し満足のいくスケッチが出来ても、そこからまた混沌とした「音の森」の中に入っていく。
その途中で結局また振り出しにもどることも頻繁にあって「生みの苦しみ」どころか「生みの地獄」な場合がほとんどなのだ。

まあ総じて愚痴というか、独り言。
でもほんとはこういう苦労話みたいなものは全く好きじゃない。

そして、出来上がるかもしれない作品とはなんの関係もない。
音楽に限らず、完成した芸術作品が素晴らしければそこには価値がうまれ、多くのひとの魂を揺さぶるかもしれない。
それは作品自体が素晴らしいのであって、作者や出来上がる過程にボクは一切価値を見いださない。苦労した作品がゴミ同然に扱われることもあれば、数分で構築したアイデアが多くの人の心をわしづかみにすることもある。

さ、明日も世界の果ての見知らぬ人の人生がひっくり返るような音楽を、一ミリでも新しい音楽を。

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